最近のツイートから「虐待的な親」

最近のツイートから「虐待的な親」

ああ、これ、本当にそうですね。(虐待的な親とか社会は)「私に愛されるように行動しなさい」なんだわ。でも、子どもが誰にどう見えるかなんて意識にもないほど自分自身にとってオモロイことに熱中している姿とか、そういうヤツであることが、「オモロく愛おしい」んだもんねー。

あれから考えたんですけど、「私に愛されるように行動しなさい」という基準は、実は「状況次第で変わる私の気分に適宜沿って、その時々に愛されるように行動しなさい」という、まったく不確実な基準なんですよね。それが子どもを翻弄し、結果として

子どもは常に自分以外の誰かの承認を意識して行動することを強いられる。そして自分自身は何を望んでいるのか、どうしたいのかの感覚を喪失していくんじゃないか、と。

また「私に愛されるように」は、例えば「私が認め、誇りに思えるだけ優秀な存在であれ」でありつつ、場面によって「しかし、その優秀さで私のコンプレックスを刺激したり、私に優越してはならない」という矛盾した内容を含んでいたりのダブルバインド