Ouellette「生命倫理と障害」第6章 成年期 : Larry McAfeeのケース

Larry McAfeeのケース

1984年に登山中の事故で呼吸器依存の全身麻痺状態となる。
その後5年間、ナーシング施設を転々とした後に
GA州89年にアトランタの病院に。

そのICUで3カ月過ごした後に、弁護士を呼び、
死にたいので呼吸器を止めてほしいと望んだ。
Fulton最高裁に請願書を提出。

判事は本人のベッドサイドで事情聴取を行い、
本人が何度も方法を工夫して自殺を試みたことを聞く。
家族も、州検察側が選任した医師も本人の決定を支持。

トライアル審は意思決定能力のある成人として本人の治療拒否の決定を認めた一方、
呼吸器停止の際に鎮静剤を打つことを医療職には求められないとしたが
上訴を受けた最高裁は、停止の際に苦しまなくてもよい権利は
望まない医療を受けなくてもよい権利の中に含まれる、と判断した。

これに対して、Paul Longmoreら障害者自立生活運動からは
法廷では語られることがなかった事実が明かされた。

1986年にMcAfeeアトランタのアパートで自立生活を始め、
改造した車を運転して買い物に行ったり映画やバスケの試合にも出かけていたというのだ。

いずれはコンピューター・エンジニアとして仕事も、と希望を持っていたのに、
両親の保険契約が切れたことから彼はナーシングホームに入ることを余儀なくされた。

しかも受け入れてくれたのは
友人・家族のいるアトランタから遠いクリーブランドの施設だった。

高齢者ばかりの施設で、ネグレクトに等しいケア。

他に移りたいと希望すれば、あちこちをたらい回しにされた挙句に
急性期の病人でもないのに病院のICUでの暮らしを余儀なくされた。
彼が死にたいと望んだのは、そのICUでのことだったのだ。

その4年間に、自立生活を送れる支援さえあれば、
彼が死にたいと望むことはなかった。

実際米国には15000人の障害者が
人工呼吸器を使いながら病院から出て暮らしている。

McAfee訴訟は
Elizabeth Bouvia事件やDavid Rivlin事件と並べて
死の自己決定権の文脈で論じられるが、

個人の医療拒否の問題ではなく、
医師も判事も一般国民もが共有する重症障害のある生は生きるに値しないとの価値観、
すなわち社会の側にある障害バイアスの問題、と主張。

Longmoreは
「こんな自由はフィクションに過ぎない。偽物の自己決定。
選択というレトリックが強制の現実を隠ぺいしている」と。


この後、ウ―レットが解説している
生命倫理学でのMcAfee事件への反応またはその変遷は非常に興味深い。

まず、
大御所 Beauchamp とChildressは09年の著書Principles of Bioethicsで
McAfee事件を「正当化された医師による自殺幇助」の事例として取り上げ、
彼は裁判所にまで行かずとも医師の判断で死なされて然りだったと説いた。

ところが興味深いことに、その後の改訂版(PASをより深く正当化する)からは
何の説明もなく、この事件は姿を消した。

さらに最新版では2人は障害者運動の言い分に一定の理解を示し、
多様な支援を整備することの必要を認めつつ、
しかし最後の手段としてPASを認めるべきだと主張している。

次に最も社会的文脈を重視する生命倫理学者として
ウ―レットが言及するのが Art Caplan。

Caplanはメディケアの財源を連邦政府に一元化し安定的なものとすることで
州によって障害者が受けられる支援のばらつきを解消すべきだと主張しつつも、
McAfee訴訟での裁判所の判断自体は問題としない。

非常に興味深いのは
障害者らからの批判を受けて、
この事件に対する考えを変える倫理学者も出てきていること。

Howard Brodyは、
この事件で裁判所の判断を支持したことを謝罪する文書を出した。
Brodyはまた、ほぼ同じ内容だったRivlin事件で書いたことについても
考えを翻して、以下のように書いている。

I am now embarrassed to realize how limited was the basis on which I made my decisions about David Rivlin. In hindsight, it has been very well documented that there was no medical need for Rivlin to be effectively incarcerated in a nursing home. If Rivlin had been given access to a reasonable amount of community resources, of the sort that other persons with disabilities were making use of at the time, he could have been moved out of the nursing home and probably could have had his own apartment. …(中略)… The reasons he gave for wanting to die were precisely how boring and meaningless life was for him.
There’s every reason to believe in hindsight that David Rivlin died unnecessarily, ……(以下略)

David Rivlinについて自分の考えを決める際にいかに限られた情報を根拠にしていたかを知り、今の私は恥じている。改めて振り返ってみれば、Rivlinがナーシング・ホームに閉じ込められていなければならない医療上の必要などどこにもなかったことは文書で明らか。当時ほかの障害者らが利用できていた地域サービスがRivlinにも使えていたならば、彼はナーシングホームを出て自分自身のアパートに住むことができた可能性がある。……死にたい理由として挙げたのは、まさに生活が退屈で無意味だということだったのだ。
いま振り返れば、David Rivlinはどう考えても死ぬ必要はなかったのだとしか思えない。

しかし、もちろんBrodyのような倫理学者はマイノリティだ、とウ―レット。


【2013年7月23日追記】
この章でOuelletteが引用している Longmoreの論考
http://www.raggededgemagazine.com/archive/p13story.htm