あのBill Peaceが病院で「死の自己決定」を教唆されていた!

アシュリー事件に関して2007年当初から一貫して「アシュリーは私だ」と言い
重症障害者だけの問題ではない、障害者みんなの問題だと
批判を続けている障害当事者のWilliam Peaceが

辱そうを感染させて長い間寝たきりとなって
自宅で訪問看護や介護を受けていたことは去年、
彼自身のブログで読んで知っていたのですが、

一昨年その治療で入院した際に
ま夜中にやってきた医師から治療を放棄して死ぬよう、教唆を受けていたとは……。

Peaceはその場で「治療はしてほしいし自分は生きたい」と強く答えたものの、
その時の恐怖も、その後の恐怖もあまりに大きくて、これまで誰にも
その経験について語ることができなかったと言います。

今回、Hastings Center Reportに発表したエッセイで
その詳細を明かし、これは自分だけに起こった例外事例ではなく、
障害者はずっと病院を敵意に満ちた危険な場所だと感じてきたし、
障害者を正常からの逸脱としか見なさない医師らは
障害のある患者のいうことには耳を傾けないというのも
障害者がみんな感じてきた不安でもある。

自分に「治療を拒否するなら苦しまずに死なせてあげる」とほのめかした医師を含め、
こうした医療職の障害者への無理解・無神経な扱いは、
医療が障害者の生を価値なきものとみなし、
障害のある生を生きるよりは死の方がマシだとの
価値意識が根深いことの証である、

障害学はこの点で多くの仕事を成してきたのだから、
医療の専門職が本当に頭が良いなら障害者の発言から学ぼうとするはずなのに、と
エッセイを結んでいます。

冒頭、小説のような筆致で生々しく描かれる医師の教唆場面の概要とは

長い入院の挙句、感染した傷の状態が悪化し、そこへMRSAの感染まで重なって、高熱を出し、意識も朦朧として、おう吐し続けていたPeaceは、それでも17歳で半身まひになって以来ずっと医療と付き合ってきた者として、今の状態は悪いにせよ命がどうこうという事態ではないことは分かっていたという。

夜中の2時、これまで見たことのない医師が看護師を伴って入ってきた。

看護師に薬を取りに行かせて2人きりになると、その医師はまず、自分の病状の深刻さを分かっているか、と聞いた。分かっていると答えると、

これから半年、もしかしたら1年以上もあなたは寝たきりになる、もしかしたら傷がこのまま治らない可能性も高い。そうなったら、あなたは二度と車いすには乗れないし、仕事もできない、生涯に渡って全介助の生活になる。医療費もかさんで、あなたは破産しますよ。治癒する前に保険は切れるし、このタイプの傷ができた人はたいていナーシング・ホーム行きになります。

強力な抗生剤を使っているので、臓器がやられる可能性があり、腎臓とか肝臓はいつ機能不全になっても不思議はない。傷が解放性だし、深くて元の感染が酷いから、そこへMRSA感染となると命が危ういし、マヒのある人がこういう事態になると多くは死にます。

そう語った後で、医師は抗生剤の投与はあなたの意志によるものであり、あなたの意志のみによるものです、あなたには薬の投与をやめる権利があります。命を救うための抗生剤をやめる権利もあります。もしも現在の治療の続行を望まないなら、苦痛を取り除いてあげます、と言った。

ここでPeaceは次のように書いている。

Although not explicitly stated, the message was loud and clear. I can help you die peacefully. Clearly death was preferable to nursing home care, unemployment, bankruptcy, and a life-time in bed.

はっきりと言葉にしなくとも、メッセージは明らかだった。穏やかに死なせてあげますよ。だって、ナーシング・ホームに入って、失業し破産して、一生寝たきりになるくらいなら、死んだ方がマシでしょう、と。


Comfort Care as Denial of Personhood
William Peace
The Hastings Center Report 42, no.4 (2012):14-17, DIE 10.1002/hast.38


ちなみに、このエッセイ、タイトルは「人格の否定としての緩和ケア」。

Bill Peaceのエッセイの趣旨は、
現在少しずつエントリーにしているNDRNの報告書の趣旨とも
また1年がかりで読んだアリシア・ウ―レットの「生命倫理と障害」の主張とも同じ。

ちなみに、Bill Peaceが障害者に対する医療の偏見を象徴する事例として挙げているのは
Larry MacAfee事件、David Rivlin事件、Dan Crews事件と Christine Symanski事件。

このうちLarry MacAfee事件は
ウ―レットの「生命倫理と障害」第6章でとりあげられており、
当ブログでも以下のエントリーでとりまとめています ↓
(そこで類似事件としてRivlin事件が触れられています)
Oulette「生命倫理と障害」第6章:Larry MacAfeeのケース(2012/3/31)


またSymanskiさんについては
今年2月17日の補遺でThaddeus Popeの記事を拾っていました↓
http://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara/64761787.html






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ちょっと偶然が重なったので、余計に気になることとして、

Peaceに治療拒否を教唆した医師は hospitalist と説明されています。

実は hospitalist については先月、
米国の介護者支援の文脈で知ったばかりでした。

導入は90年代だったようですが、
最近になって急速に普及してきた総合医のことで、
医療が高度に専門分化し多職種の関与で複雑化する中、
入院患者の入院中の医療をコーディネートし、
退院までをトータルにサポートするというのがコンセプトのようなのですが、

私が出会ったのは家族介護者に向かって
医療職との望ましい協働のために、というアドバイスのページで、

最近の病院はとにかく早期退院だから、介護者はそれを十分に念頭において
医療職と適切なコミュニケーションを図ることが重要だと強調する
その内容から受けた印象では上記のコンセプトは建前に過ぎず、
医療資源の効率的な使用と病院の利益のために
特に重症患者の早期退院に向けて尽力する職種、という感じも。

そのページはこちら ↓
What Is a Hospitalist? A Guide for Family Caregivers
Next Step in Care
Family Caregiver & Health Care Professionals Working Together


これについてまた改めて取りまとめたいと思っていますが、
日本でもホスピタリスト導入に向けた動きがあるようです。

Peaceのエッセイから推測するに
早期退院に向けて尽力する、だけではないみたい……?