PeaceのエッセイにNot Dead Yetが反応し「生命倫理学は障害者の命の切り捨てに口を閉ざしている」

昨日以下のエントリーで
HCR掲載のBill Peaceのエッセイを紹介しましたが、



このエッセイは公開で意見が募集されて
へースティング・センターのブログを通じてPeace自身もそこに参加するとのこと。

最初の反応として、
Not Dead YetのDiane Coleman とStephen Drakeとが
7月11日付で論考を寄せています。



大まかな論旨は

生命倫理の界隈の人や昨今の終末期に関する議論を知っている人なら、
Peaceのエッセイを読んで、さほど驚くとも思えないし、
これに類する話が他にもいっぱいあることくらいは想像がつくだろうけれど、

Peaceのエッセイで最も驚くべきは
それが生命倫理学のジャーナルに発表されて、
一般も参加できる議論が行われていることである。

これまで生命倫理学者は
専門家の議論に一般人が加わることはないと言わんばかりに場を閉ざしてきたし、

3年前に四肢マヒの女性Terrie Lincoln(19)があわや安楽死させられそうになったけれど
その後、回復して今では母親となっている事件でも、

へースティング・センターの理事でもある神経科医のJoseph Fins医師が
脳損傷の患者から治療が不当に引き上げられているとか、
臓器提供への圧力までかかっている、と
去年から今年にかけて発言を続けたことについても、

また今年5月のNDRNによる
障害者への一方的な治療の差し控え途中の実態報告と批判についても、
(この報告書についてはエントリーがすでにかなりあります)

生命倫理学は反応しないままできている。

2007年からペンシルベニア州
重症障害者の肺炎の際の救命治療差し控えを親が求めている訴訟についても
あのArt Caplanですら、おひざ元の出来事だというのにコメントしない。

そうした現状があるだけに、
Peaceのエッセイが生命倫理のジャーナルで議論になること自体が珍しいことなのだ。

Peaceに死の自己決定を教唆した医師は、
もしかしたら去年NY州で施行された緩和ケア情報法のことを知っていたのではないか。

命の危機にひんしている患者には医師は終末期医療の選択肢について説明する義務があると
定めたこの法律が議会を通過したのはPeaceが入院していた2010年のことだった。

しかし、あなたはターミナルだとか、重症の障害を負うことになるかもしれないと聞かされて
不安を抱えたまま危機的な病状で生きようと闘っている病人に、タイミングもなにも配慮せず
こんなふうに無神経に終末期の選択肢の話を持ち出すことが医師の義務だというなら、

そんな法律には障害者コミュニティは反対する。

緩和ケアの選択肢について説明するにも柔軟にタイミングを選び、
患者と家族には多職種でのチームとしてアプローチし、
身体的サポートのみならず心理的なサポートも行うことを重視するよう
この法律は書きかえられるべきである。


Terri Lincolnのケースとは、

3年前に交通事故で意識不明となった19歳の女性について
医師は、重症障害を負うくらいなら人工呼吸器を外すよう親に繰り返し勧めた。

Terriさんが意識を回復してからも、医師らは苦しまずに死なせてあげると説得を試みたが、
Terriさんと家族は抵抗し続けた。

10年たった現在、Terriさんには娘がいて、
電動車いすを使い、毎日の介護サービスを利用して幸せに暮らしている。


ペンシルベニアのケースとは、

グループホームで暮らす男性が
肺炎から一時的に人工呼吸器をつけることになった際、
両親が人工呼吸器の取り外しを求めて提訴。

裁判所はこれを却下し、
男性は肺炎で命を落とすことなくグループホームに戻った。

ところが彼の両親はさらに州の最高裁に上訴し、
もしも次に同じような事態が起こった場合には治療を差し控えてほしいと訴えた。

2010年の判決で、最高裁もこれを却下。


Dr. Finsの去年の発言については
ColemanとDrakeがリンクしているNYTの記事を
当ブログでも以下のエントリーで紹介していました。



ICUの患者や家族に対して、
あまりにも剥き出しに臓器提供へのプレッシャーをかけるやり方が納得できないので
自分は臓器獲得組織の理事を辞任せざるをえない、

助かった患者の家族からも、
生命維持を中止して臓器提供しろと圧力があった、との報告を複数受けている、
などのFins医師の発言については

もう一つのリンク先を読んだ上で、
改めてエントリーを立てたいと思います。