Ouellette「生命倫理と障害」第6章 成年期 : Scot Matthewsのケース

Scott Mathewsのケース

1996年のNY、アルバニーのGH在住の重症重複障害者。当時28歳。

何度も脱水、栄養不良尾、感染、肺炎を起こして入院し、体重も非常に少ないことから、医師とGH側が胃ろう造設を検討するも、法定代理人である両親が抵抗し、裁判へ。

トライアルでは両親の訴えが却下されたが
NY上訴裁判所は口から食べることも可能とする医師の判断を受け入れ、
逆転判決を言い渡した。

本人が意思決定能力を欠いている以上
スコットの体重と健康状態を慎重にモニターしつつ、
本人の最善の利益判断を元に法定代理人の良心の決定が尊重されるべき、との立場。

これに対して、障害者運動は「法廷の友」としての意見書を出した。

最重要とすべきは本人の命の保障であり、
認められないなら障害者には医療の平等が保証されないことになるとして、
餓死のリスクがあるのに両親の決定権が尊重される生命倫理の論理を疑問視した。

一方の生命倫理では、
両親の立場を代弁した法学者のDale Mooreを始め、
その他の医療をめぐる意思決定と同様に
代理決定とリスク対利益の比較考量の問題と捉える。


考察

これら3つの事件について考察しつつウ―レットが繰り返しているのは
全てのケースに当てはめられる解決などない、ということ。

Maryのケースが訴えているのは自己決定できることの重要さ。

その一方で、McAfeeのケースでは自己決定が重視されたあまり、
彼が訴えていたのが実はICUから出て暮らしたいという希望だということが
理解されなかった。

Scottのケースでは
ウ―レットはまず障害者運動側が医療の主張の側に立ったことに注目し、
胃ろうが介護負担軽減策として濫用されている事実に警告を発し、
認知症コミュニティからは口から食べることの重視が訴えられている事実を指摘する。

ウ―レットの結論は、

障害者の医療をめぐっては
障害者の側から出てきたものであれ、その逆であれ、
そこにあらゆるケースに当てはまるルールを求める姿勢には問題がある、ということ。