「脳死でなくても心停止から2分で摘出準備開始」のDCDを、ERで試験的に解禁(米)

脳死でなくても、心臓の停止から、わずかな時間だけを待って臓器を摘出する
心臓死後臓器提供 donation after cardiac death (DCD)と呼ばれるプロトコル
米国の医療現場でじわじわと広がっていることについて、
当ブログでは

障害者だからといって治療よりも臓器の保存が優先されたのに、
「心臓死後臓器提供DCD」という新しいプロトコルを採用したのだと主張して
担当医が無罪となったNavarro事件(2007年)や


日本では、去年の脳死臓器移植法改正議論の際に
森岡正博氏が朝日新聞で「ピッツバーグ方式」として紹介されました。
それを受けて、当ブログで書いた記事がこちら

このDCD、どんどん広がっているのだろうとは思っていましたが、
臓器を待っている間に死ぬ人が多いことから、臓器不足を解消しようと、
これまで臓器摘出は禁忌とされてきたERに広くDCDを導入するべく、
まずはERにDCDを導入した場合に、使える臓器がどのくらい手に入るものか、
その実行可能性を確認するプロジェクトが2つの病院で始まったとのこと。

いよいよ、きたな……という感じのニュース。

ERに搬入される外傷患者や心臓まひの患者など、
救命不能な患者から、潜在的ドナーを早期に選別して、
腎臓、肝臓、その他とれる臓器や組織をいただけるものかどうか、やってみよう、と

プロジェクトの舞台は、ピッツバーグ
Pittsburgh大学メディカルセンター(Presbyterian Hospital)と
Allegheny General Hospitalの2か所。

国保健省から32万ドルの助成金が出ている。

DCDが、これまでICUや、
早くから患者の死が予測できて家族の納得も得られやすい病棟で行われてきて、
ERでの臓器摘出は禁忌とされてきた背景には、
救命行為と臓器保存行為との利益の衝突が倫理問題となることと、
ロジスティックの問題(人員の確保や移送、移送時間?)などがあった。

90年代に Washington Hospital CenterがERでDCDを導入したことがあったが、
やはりロジスティックの問題で諦めている。

しかし、今のままでは、
せっかく提供意思がありながら、死ぬ場所がたまたまERだったというだけで、
その意思を生かせない人が出てくるので、そういう人を help してあげるためにも、
臓器を待っている患者さんを help してあげるためにも、というのが移植医の言い分。
(順番は、記事での移植医の発言が、この通りで、ドナーをヘルプする方が先)

心臓が止まった瞬間から2分間待って、
臓器保存の処置に取り掛かるプロトコルだという。

記事冒頭にリンクした
Denver子ども病院の心停止後75秒での摘出プロトコル
2008年に論文発表した際に激しい論争を巻き起こした。
その後、病院は詳細な検証を行ったうえで、
この記事の2か月前にプログラムを再開したが
その際、医師らに2分待つよう求めたとのこと。

プロジェクトの担当者は
対象となるのは運転免許証にチェックがあるか州にドナー登録している人のみで、
患者がドナーかどうかは死亡宣告の後にチェックする、
治療する医師と臓器を摘出する医師は別の人間とする、など
ちゃんと、セーフガードのステップは設けるんだから心配ない、と言うが、

様々な疑問や批判の声が上がっており、

・救命治療中の医師の頭に「この人はドナーになるな」という考えが浮かぶことになる。

・20歳の若者が町で撃たれて運び込まれて、
連絡を受けた家族が20分後に到着したとして、その時に、
「手は尽くしましたがダメでした。ついてはドナーカードをお持ちだったので、
臓器を採らせていただきました」といきなり言われることになるが
その場合、家族は「本当に手を尽くしてくれたの?」と考えるだろう。
(これは私がわりと好きな生命倫理学者の Art Caplan)

・死ぬ前から臓器の保存が優先されてしまうことはないのか。臓器ほしさに
手を尽くさずに死なせる、または死を早めることすらあるのでは?

・ERで死ぬ患者の臓器が、はたして移植の基準をクリアするのか。

・運転免許証で「臓器を提供しますか」とだけ聞かれて「はい」と答える人は
本当にその内容を理解しているわけではないし、
その意思表示がインフォームドコンセントだとは言えない。

・ポイント・オブ・ノー・リターンと判断されるまでに
CPR(心肺蘇生)をどれくらい続けるべきかのコンセンサスがない。
生き返る可能性は? その人の死亡時刻は蘇生終了時なのか、
それとも、それから2分後なのか?

これらの批判に対して、
プロジェクトの責任者でピッツバーグ大救急医療の准教授 Clifton W. Callaway医師は

「これは心臓死後の臓器提供です。心臓も打たない。呼吸もない。
死んでいる。臨床的に死んでいるんです。ここにある死は不明瞭ではない」

そして、2分待つとは言うけれど、実際には
摘出チームが来て準備をするのに最低15分はかかる、とも。

ちなみに、まだ使える臓器は1個も採れていない。



「死亡宣告の後でドナーかどうかチェックする」というのと
「2分間だけ待ってから臓器保存にかかる」というのと
「2分では到着しないから15分はかかる」というのとは、
現場では、一体どういうふうに進行するのだろう……?

心肺蘇生をやっている場面には、まだ摘出チームはいないはずだから
心肺蘇生をやっている救命医が
「“2分後”に備えて、免許証を探して、そこまで持ってきておいて。
でも、死亡宣告するまで、誰も見ちゃダメだよ」と誰かに命じるとか?

州にドナー登録を問い合わせる(それともインターネット?)だけでも
2分くらいは経ちそうな気がする。

「ご臨終です」と同時に、一人がさっとその確認作業にかかる、
すると、もう一人はさっと動いて院内電話のそばに待機するのかな。
摘出チームに連絡を取るために。

でも、そういう体制が組まれていること自体が死を待ちつつ救命している状況で、
そんなの人間の心理として両立するだろうか。

そして、ドナー登録があるということになったら、
看護師たちは臓器保存のための処置の準備に……本当にそれから取り掛かるのだろうか。
既に部屋の隅にでも準備されている点滴セットを取りに行く……のではないんだろうか。

そういうふうに具体的に現場では何がどう進行するのか、を考えると、
「救命医と摘出医は別の人物だからOK」と、きれいさっぱりいくのかどうか……。

それに、その2分間の間にかけた電話の、その瞬間に、
うまいこと摘出チームが電話の向こうでOK状態でいるためには、
病院のER以外の場所にいる移植医の元にだって、
それらしい患者が運び込まれてきたら、すぐ、その段階で、
どういう患者かというデータが送られていないわけがないような……。

診療科間のヒエラルキーとか、医師同士の力関係とか、経営サイドの姿勢もあるだろうし、
あ、もちろん病院間の競争とか、国際競争とかもあるわけだから、

そしたら、やっぱり搬入段階から
なんとなく、暗黙の了解・阿吽の呼吸で、そっちの方向に進んでしまう……
なんてことは本当にないのか……。

Navarro事件(冒頭にリンク)を振り返ると、
障害児・者や身寄りのない人たち、貧困層などに、どういう扱いがされるのかは
たまたま運び込まれた病院の文化次第……ということになるのでは?