抜管

父は昨日の段階では気管切開という話もあったのですが、
今日の午後、抜管で酸素マスクとなりました。

仕事が終わってから病院に寄ってみると父は1人で眠っていましたが、
気配で目を開けて、すぐに私だと認めました。
声がまだちゃんと出ないので何を言っているのか分からないのですが、
しきりに何かを言おうとするし、
「辛かったね」という言葉に対して特に力を込めてうなずいたり、
顔をしかめて辛かったことを訴える様子からは言葉の理解も確かな様子。

ささやきにもならない息で何かを言うのを聞き分けてあげられないので
重症心身障害があって言葉は持たないけれど自己主張だけはしっかりする娘を引き合いに出して
「ミュウの言うことなら分かるのに、おじいさんの言うことがわからんわ」
というと、笑い声でも立てそうに破顔する。
孫の名前も、その孫がどういう子どもかということも、
ちゃんと認識できている様子。

浮腫が起きているけれど、両腕とも動く。
しかし、ともかく、ものすごくしんどそうではあります。

今の父にとって覚醒レベルが高いということは不幸なことなのかもしれませんが、
短い間にせよ呼吸が停止した以上、脳へのダメージが気になっていた私には
ひとつの安心ではありました。

「しんどかったけど帰ってきたね」というと、
深い思いを込めるように大きくうなずいたので、
父はとりあえず生還を果たして再び家族と相まみえることができたことを
心の底から喜んでいるようです。


【お詫び】
昨日、この箇所に書いていた部分については、
しばらく医師の説明を直接聞いていなかったための私の思い込みがあったようなので、
25日夜に削除させていただきました。
冷静なつもりでも、やはり動揺も混乱もしているのかもしれません。お詫びします。


      ―――――――

確信が持てなかったし、聞こえなかったことにしたけれど、
父が息にしかならない声で言っていたのは
「死ぬるかと思うた」という言葉だったような気がします。

もちろん年齢からすれば、手術前後の病床でも
「もしかしたら……」と考えないわけではなかったと思う。
だけど、今日の父が口にした「死ぬるかと思うた」は
そういう漠然とした不安や物思いとは全く異質なものであって、
明確に死を意識した瞬間があった、ということのはずです。

20日のあの呼吸停止前後のどたばたの、一体どの時点で
父は「死ぬるか……」と意識したのか。

漠然と不安は抱いていても、それほど切迫して死を覚悟していなかった人が、
突然に急変して死に直面するような場合、
その人は一体いつの段階で自分の死をリアルなものとして意識するのか。

父が言ったのが「死んだと思うた」ではなく
「死ぬるかと思うた」だったことの意味は、案外に大きいのではないか。

本人が死を避けがたいものと意識する段階と、
家族が「かわいそうだから、もう、いいんじゃないか」と考える段階との間には、
やっぱり相当な開きがあるのかも知れない……。