GA州の「臓器提供安楽死」希望でキャスターがALSを「ターミナルな病気」

これまで以下の2つのエントリーでとりあげてきた
GA州のALS男性の「臓器提供安楽死」希望のニュースで


8月に入っても、CNNの番組がPhebus氏と娘を生出演させています。
ペンシルバニア大学の生命倫理学者 Art Caplanも出演。

Phebus氏の発言は、これまでに出てきたものとほぼ同じで、
自分はALSと診断され「死刑宣告を受けて」おり、どうせ死ぬのなら
だんだん身体が動かなくなって何もできなくなって死んでいくよりも
臓器を待ちながら死んでいくしかない人たちを救えるのであれば
臓器が良好な状態で使ってもらえるように死にたいというだけのこと。

別に自殺願望に取りつかれているわけではないし、
自殺したいというよりも、まだ生きられる希望のある人たちへの犠牲になろうというだけ。

娘さんの方も、
寝たきりになってただ弱っていく(wither away)くらいなら、
そんな尊厳のない状態になるよりも、と考える父の気持ちはわかるので、
家族は父の希望を支持している、と。

それに対して、Caplanが
法的に臓器提供安楽死など無理であること、

Phebus氏の気持ちは理解できるが、
臓器移植に関与する医師が患者を死なせることは許されていないことを説明し、

途中で番組ホストの Don Lemonが
「でも、この人は、どうせ死ぬんですよ。遅いか早いかの違いしかないなら、
臓器が使えるうちに、という願いにも一理あるのでは」という意味の言葉をさしはさむ。

それに対してCaplanは、
個人の願いとしては理解できるが、それが許される社会は人々を恐怖に陥れることになる、と、
社会全体に与える影響について語っている。


Phebusさんの要望は、
簡潔な言葉でとても分かりやすい。

それに対して、
その要望がどんな複雑な法的かつ倫理的な問題を含んでおり、
それがどういう複雑かつ広範な影響をもたらすかという点は、
Phebusさんの要望のように簡潔に伝えられるものではないのだ、ということを
つくづく感じさせられる。

本当に大事なこと、
本当はみんなで真剣に時間をかけてちゃんと考えなければならないことというのは、
いつも地味で、退屈で、煮え切らず、うざったく、面白みに欠けて、ださい。

でも、ぐるぐる、どろどろすることのない
あまりにもきれいにスパッと割り切れて、明快で分かりやすいことは、
やっぱり怖いことなんじゃないんだろうか、ということも改めて感じさせられる。

その他、特に印象的だったのは2点で、

Phebus氏が、余命がどのくらいかについては聞いていない、と言ったこと。
進行の早さは人によるから分からないと言われているとのこと。

もう1つは、番組冒頭で、Lemon氏が
ALSを「ターミナルな病気」と紹介したこと。

例えばOregonやWashington州の尊厳死法で「ターミナルな状態」とは
余命6カ月以内と診断された人のことを言うことと考え合わせると、
まるでALSと診断されたら、その段階で余命6カ月以内であるかのように聞こえる。

実際には、Phebus氏の担当医が言うように
進行の速度は人によって様々だというのに。

Phebus氏の希望を話題にする番組の冒頭で、ALSを「ターミナルな病気」と紹介するは、
ALSと診断された段階で「私は死刑判決を受けた身」と言うPhebus氏の言い分に
無反省に同調することではないのか。



「ターミナルな病気」という表現が私は去年からずいぶん気になっていて、
介護保険情報」の連載で去年12月に書いてみました。

それを次のエントリーに。