「199の国で禁じても200番目にとってビジネス・チャンス」の世界の救いのなさについて

8月末にこのブログを休止してからずっと
頭の中にぐるぐると転がり続けている言葉がありました。

スタンフォード大の法・生命科学センターのHank Greely氏が
最新の着床前全ゲノム読解診断検査について言った、次の言葉です。

世界にはざっと200の国があります。
仮に199の国で禁じたとしても、
それは200番目の国にとって多大なビジネス・チャンスとなるだけ。




「世の中が向かっている方向がここまで見えてしまったら
個々の事象で起こっていることを追いかけても、もう意味がないのでは」という思いは
かなり前から抱えつつ日々のエントリーを書いていたのですが、これを読んだ時に、
ふっと、もうこれまで通りに追いかける気力がなくなってしまった……に
転じてしまいました。

この言葉こそ、
このブログで追いかけてきた
「科学とテクノで簡単解決文化」と結びついた
グローバル人でなし強欲ネオリベ金融(慈善)資本主義の世界の救いのなさ
そのものだ……という気がしたのです。

それで、とりあえずブログを休止したあとも、
この言葉のことをとりとめもなく考えていたような気がします。


その間に頭に去来したことというのは、例えば、これ ↓
「3人の親を持つ子ども」IVF技術で遺伝病回避……パブコメ(2012/9/18)

また例えば、
同じく遺伝子診断による胚の選別技術を用いて
病気の姉・兄のドナーとして生まれてくる子ども“救済者兄弟”のこと。

それらの問題を巡っては倫理問題が指摘されつつも、
逆にむしろ生命倫理学者らの議論が技術の利用容認への露払いをする形で
強引にこうした技術の利用が進められていく。その背景にあるのは
科学とテクノの研究の激烈な国際競争なのだ……と
これまで以下のエントリーなどで書いてきたことを改めて確認する思い。



最近ではこういうことまで起こって、
こうして研究と技術開発の競争激化は、さらに歯止めなき泥沼と化していく ↓
胚の細胞周期にかかる時間に特許とった大学とバイオ企業に非難ごうごう(米)(2013/7/11)


それから、「生命の操作」をもう少し広げてみた時に頭に浮かぶのは、例えば、
グローバル化する代理母ツーリズムのこと。

国によっては代理母を一箇所に住まわせて行動を束縛し、
管理・監視して、もはや代理母なんだか子どもを生む奴隷なんだか分からないような
実態も報告されている。(補遺のどこかに元情報があると思いますが)

それでも、地球上のどこかに代理母を禁止していない国があり、
代理母をやりたいという女性がいて、依頼者との仲介をするビジネスが存在して
そのサービスを対価を払って利用して子どもを持ちたいという人がいれば、
それはその人の自己選択。

代理母をやりたいという女性についても、
それが仮にそれ以外には我が子を育ててゆくすべがないところへ
ギリギリに追い詰められたゆえの選択だったとしても、
やりたいというのはその女性の自己選択・自己決定ということになってしまう。

搾取だという批判はあるけれど、その一方で
金持ちはそれで子どもがもてて、貧乏な人には金が入るのだから
両者ウイン・ウインの関係だと主張する人もいる。

インドでは、その一方で、
貧困層の女性を「この手術を受ければあげますよ」と日用品で釣って、
大量の不妊手術が行われている。

医師が何人も手早く手術して、
術後の女性はろくに痛み止めも与えられずに
屋外の地べたに寝転がされている。

そういう実態は写真ごと報告されていて、国際世論の批判はあっても、
女性たちが自分でそこに「手術を受けます」と行っている以上は
それも本人たちの自由意志による自己選択・自己決定ということになってしまうのでしょう。



同じように世界のどこかに「臓器が買える国」があって、臓器を売ろうとする人がいるなら、
それがたとえ、それ以外に生きるすべがないからという理由であったとしても、
売ることはその人の自由意志による「自己選択」「自己決定」なのだろうし、
そういう場所と人がある限り、世界中の199の国で臓器売買を禁じたとしても、
それは200番目の国にとって大きなビジネス・チャンスになるだけなのでしょう。

ベルギーでは、すでに書いたように
安楽死後臓器提供」が数年前から行われていますが、
その中に精神障害者が含まれていることが、
この5月に移植医らから論文報告されていました。


ベルギーの移植医らは、これもまた「患者の自己決定」だと言います。そして、
「一人で何人もの命を救うことのできるすばらしい愛他行為」だと賞賛します。

でも、本当にそれでいいのか、いいはずないだろう、と思う。

思うけれど、
上の「199の国で禁じたとしても」に象徴されるように、
経済の論理の暴走を倫理の論理では制御できない世界が
すでに出来上がってしまったのだ……と考えると、

そこから先を考えることができなくなってしまう。
そこから先を考えても意味がない、何にもならないことになってしまう。
だから、考えようとする気力がなくなってしまう。

ミュウたちのことを考えると、
そこから先を考えようとするだけで、もう恐ろしくてならない。

そんなふうに「希望がない」「救いがない」としか言えないのなら
黙るしかない、黙るべきだ、黙る方がいい――。

8月の末に思ったのは、そういうことだった……んだな、と思う。

当ブログの原点:ネット・メディアとの2007年1月のやりとり

ブログを休止しているところなのですが、
当ブログの起源として、これは資料として残しておきたい……というものが出てきたので。

しばらく前にパソコンの故障で大量のデータが失われたために
紛失したとばかり思い込んでいた大事な資料が
なんと目立たないファイルの片隅に生き残っているのを発見。


2007年1月に日本でいち早くアシュリー事件を報じたネット・メディアにあった
「知的機能はすでに失われており」という記述を巡って
編集部に手紙を書き、やり取りした結果、
その記事が非表示になったという出来事がありました。

出てきたのは、そのときのやり取りの記録。

2007年の1月に、
まだ何の知識もなければ問題意識もなかった私が
素朴な疑問をストレートにぶつけているメールの文面を改めて読んでみると、
ここにすでに今回の『死の自己決定権のゆくえ』の第2章に繋がる疑問が見えていることに、
ちょっと息を飲むような気持ちになったので、
これはこのブログの資料として残したい、と思って。

まず、2007年1月26日に
私が初めてこのメディアの事務局に書いたメールが以下です。

○○に掲載されている「脳障害の少女の体を現在のまま”停止”に」という○○氏の記事ですが、その中の「脳の知的機能は既に失われており」という部分は、どこから来たものでしょうか。

両親のHPにも担当医師の論文にも、そんな記述はありません。

Ashleyについて「精神・認知の発達段階が生後3ヶ月から変わっていない」とは書かれていますが、そのほかにも、「家族が話しかけると喜んで微笑む」、「音楽が大好きで、好きな音楽を聴くとはしゃぐ」、「意識ははっきりしており、周囲のことは分かっている」、「家族を分かっていると思うが確信は持てない」、「 困ったことがあると助けが来るまでで泣き続ける」などの記述もあり、これらは決して「脳の知的機能は既に失われて」しまった子どもの姿ではありません。

どなたか、記者氏以外の方、できれば障害児・者の問題に詳しい方にご確認いただき、事実誤認が確認できれば、訂正していただければと思います。

この問題の議論は、Ashleyの障害像を先ず正確に理解した上でなければ、筋違いの方向に進む危険があります。


それに対して、数日後に記者の方ご本人の説明をコピペしたものが
編集部からお返事として送られてきました。

それを読み、2月8日に私が編集部に返したお返事が以下。

編集長様

メールありがとうございました。
いただいたお返事の中にも、ずいぶん事実誤認があるように思います。
 
①アシュリーの成長が止まったとされているのは、生後3週間ではなく、生後3ヶ月です。記者氏ご本人が添付されている英文を読んでみてください。

② 両親のブログでは生後3ヶ月で知的機能の発達が止まったと書かれていますが、CNNの1月12日のインタビューで、担当医のDr.Diekemaはアシュリーの認知・知的機能は生後6ヶ月相当と言っています。

③「脳が損傷されている」ということは、「知的機能は失われている」と同じではありません。脳損傷によって身体機能の障害があっても、知的機能は完全な人もいます。「脳が損傷されているから知的機能は失われている」というのは、障害に関する知識を欠いた人の短絡的な思い込みではありませんか。

④原因不明の脳損傷があり、それが機能障害を起こしているのであって、アシュリーは「難病」ではありません。障害は病気ではありません。

⑤以下に、両親のブログからアシュリーの状態についての記述を抜き出してみます。果たしてこれが「知的機能が既に失われた」子どもの状態かどうか、編集長様ご自身でご検討ください。

(省略しますが、父親のブログに書かれたアシュリーの障害像に関する部分をここに箇条書き。
その内容の概要はこちらのエントリーに ⇒http://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara/8651548.html)
 
私は、アシュリーに障害像が非常に似ている重症児の母親ですが、私の子どもを含め、いわゆる重症心身障害児といわれる子どもたちは、決して植物状態にあるわけではありません。アシュリーも、上記記述からお分かりのように、医学的に植物状態とは言えません。にもかかわらず、記者氏の不用意な記述によって、日本ではアシュリーの障害像が誤って伝わっており、議論を筋違いの方向に誘導される可能性があることに、私は非常に大きな懸念を抱えております。

現実に、ある大学の生命倫理の講義の中で、記者氏の記事が資料として使われて、この問題の是非が議論され、「やむを得ない」との意見を述べた学生が自分の意見の根拠として、「知的機能が既に失われていると書いてあるから」とこの部分を引用するということがありま した。この講義を担当した先生に上記記述をお渡ししたところ、「自分も誤解していた。もう一度アシュリーの障害像を正しく捉えなおさなければならない」と、次の講義で訂正されたとのこと。

総合的に書くのだとおっしゃるのは分かりますが、それが正確でないことの正当化にはならないのではないでしょうか。特に、専門的な知識を必要とする分野であればあるだけ、記者の方の思い込みや先入観で事実と異なった記述が出てくることは、非常に危険なことではないでしょうか。

記者氏がおっしゃっているように、この論争は続いており、1月26日にはピーター・シンガーニューヨークタイムズの特集に挑発的な文章を書きました。それに対する反論もいくつか出ています。今後も論じられていくと思いますが、それだけに、日本でもアシュリーの障害像が先ずは正しく伝えられることが非常に大切になってきます。

上記のことを編集部としてご検討いただいたうえで、記者氏からではなく、編集部としてお返事いただきたいのですが、記者氏の「知的機能が既に失われているとの表現は、そう一線を踏み外したものとは考えていない」との見解は、事務局としても支持されるのでしょうか。


これに対して、2日後に編集長から、
医学的な見解をまとめ直した上で記事を修正するのでは時間がかかるし
議論をする上で正確でない情報を伝えてしまうことは本意ではなく、
編集部での検討中にも公開されていることの影響がありそうだと、
いただいた指摘から判断されるので、緊急的に非表示にする、
という趣旨のお返事が届きました。

数少ない詳細な記事だったので
私としては訂正した上で残してほしかったのですが、
編集部の対応は誠実だったと思います。

そして、このときのやり取りを通して、
「ミュウやアシュリーのような重症児者は『どうせ何も分からない人(子)』でしかないか」との問いを
私は獲得したのだと思います。

その問いはその後の様々な問題意識の根っこにあり続け、
そこから生じた数々のぐるぐるが、このたびの拙著
『死の自己決定権のゆくえ―尊厳死・「無益な治療」論・臓器移植』
第2章の考察へと深まっていったのだと思います。

当ブログの原点が、ここにありました。

【お知らせ】しばらくブログをお休みします

当ブログは2007年5月に
アシュリー事件を追いかけるために立ち上げたものでした。

いつのまにかアシュリー事件からその周辺へと興味関心が広がり、
それから、ざっと6年あまりになります。

元より「世界ではいったい何が起こっているのか」
「こんなことが起こっている世界はこれから
いったいどこへ向かっていくのだろう」という
自分自身の興味・関心に引きずられてやってきたブログでしたが、
多くの方々との出会いに恵まれて時を経るうちに、


同事件を追いかけながら見えてきた、もうちょっと「大きな絵」についても、今回
『死の自己決定権のゆくえ: 尊厳死・「無益な治療」論・臓器移植』にとりまとめることができました。

シノドスの新刊著者インタビュー
何ごとか1つのことだけは「言い尽くした」気分にさせてもいただき、
なにやら、このブログも一段落したのではないか、という感じがしております。

それ以前からも、
「世界はこうなっていくのではないか」と懸念してきた通りが次々に現実となっていくこと、
その変化の速度がどんどん加速していると思えることが、あまりに恐ろしくて、
もうこれ以上、知りたくない、見たくない、という気持ちを
どこかにずっと抱えてきました。

昨日、今日と、続けてアップしたエントリーが
正しく、そうした「今後」を象徴しているようにも思え、
この先は、個々の事象で何が起こっているかを追いかけることには
あまり意味がないのではないか、とも思えてきました。

すでに私の生活の一部となっていますので、
ブログのない生活というのは考えられず(それって、実際どうよ?)
しばらく充電した後にまた今の形のままで再開するかもしれませんし、
別の形で続行することにするかもしれませんが、

しばしお休みし、これからこのブログをどうするか、
すこし落ち着いて考えてみたいと思っています。

いつもご訪問くださる方々には突然の休載でご迷惑をおかけしますが、
どうぞよろしくお願いいたします。

なお、2冊の拙著への訂正、追加説明、その他については
それぞれの書庫で必要に応じてアップしていくつもりです。

シノドスの新刊著者インタビューのお知らせ

23日に刊行になった拙著
『死の自己決定権のゆくえ:尊厳死・「無益な治療」論・臓器移植』について
シノドスに、新刊著者インタビューが掲載になりました。



タイトルは
共鳴する「どうせ」で、いのちの選別を行わないために

ずばり、見事にツボをついた
タイトルをつけていただきました。

25日から29日の間に
編集者の金子さんとメールでやりとりしながら、
そのやり取りから次々に触発されて、考えや表現がさらに深まり、
本に書いたことの、もう一つ先に手が届いたという気がしています。

もちろん、インタビューには書ききれていないことのほうが圧倒的に多いので、
よかったら、両方を読んでいただけると幸いです。

よろしくお願いいたします。

2013年8月31日の補遺




英国のスポーツ・キャスター Jonathan Agnew氏が、ALSになった身内にディグニタスへ連れて行こうかと提案したことを明かし、話題に。
http://www.telegraph.co.uk/sport/cricket/10265125/Jonathan-Agnew-I-offered-to-help-my-stepchildrens-ill-father-die.html

WA州のホスピスの看護師が担当患者の「尊厳死法」による死を巡って書いた文章。「誰かがどういう死に方をするかは私が決めることじゃない。それは分かっている。それは分かっている。わかっている」。
http://www.geripal.org/2013/08/a-hospice-nurses-experience-of-assisted.html

豪のDr. Death, Nitschke医師がキャンベラ・タイムズに論考。The cost of living when a dying wish is denied.
http://www.canberratimes.com.au/comment/the-cost-of-living-when-a-dying-wish-is-denied-20130815-2rzfb.html

テキサスの「無益な治療法」改正法案、またも通らず。せめて転院まで生命維持の続行を求める法改正が何度も試みられてはつぶれている。TX州の「無益な治療」法改正法案、“死す”(2011/5/5) でも拾ったけれど、その後も補遺で拾ってきたように、何度か提出されている。
http://medicalfutility.blogspot.jp/2013/08/texas-futility-law-protects-clinicians.html

英国の介護者にフレキシブルな労働の権利を呼びかける声。
http://www.telegraph.co.uk/health/healthnews/10265134/Andrew-Marr-calls-for-flexible-working-rights-for-carers.html
映画”Short Term 12”、グループ・ホームの生活を描く。スタッフの視点で。
http://movies.nytimes.com/2013/08/23/movies/short-term-12-delves-into-life-at-a-group-home.html?_r=0

米国のナーシング・ホームで抗精神病薬の過剰投与が減ってきている、との調査結果。
http://health.usnews.com/health-news/news/articles/2013/08/27/us-nursing-homes-reducing-use-of-antipsychotic-drugs


未熟児への酸素療法における酸素の適量を模索する臨床実験で、リスクがあることを知らされていなかったとDagen Patt君の両親が訴えたのを機に、新しい治療法の実験では当たり前になっているリスクの説明が旧来の治療で実験では行われていない問題が浮上している。米。
http://www.washingtonpost.com/politics/2013/08/29/7ae65ca2-10e6-11e3-85b6-d27422650fd5_story.html

ビル・ゲイツが米国の新たな統一テスト教育カリキュラム、Common Coreを「購入する」ために使った費用を調べ上げた学校の先生がいる。:ビル・ゲイツが自分路線の公教育改革実現に“投資”したグラント一覧(2013/6/15)を作ったのは、WPのValerie Strauss。もうトラッキングなど無理だろうけど、他にもいろいろ、カネと人をばら撒くことで「購入」されているものもある。
http://www.huffingtonpost.com/mercedes-schneider/a-brief-audit-of-bill-gat_b_3837421.html

でも、米国民の大半はCommon Coreについて知らない。:大半の国民が知らない間に、でもいつのまにか進められていることが、ずいぶん多い。米国だけじゃない。
http://www.washingtonpost.com/local/education/poll-most-americans-unfamiliar-with-new-common-core-teaching-standards/2013/08/20/ffacc0d6-09b9-11e3-8974-f97ab3b3c677_story.html

日本語。米主要都市でスト=ファストフード従業員ら:この記事はまったく触れていないけれど、この背景には8月6日の補遺で拾ったように、「ゼロ時間契約労働」の広がりという深刻な問題がある。これは日本にも実際には来ているんじゃないかと思うのだけれど。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130830-00000031-jij-n_ame

キング牧師の「私には夢がある」演説から50年。それでも今も人種間格差は埋まらない。上の記事の写真、集まった人々に圧倒される。下は、FBIが演説後に監視を始めた、というWP記事。
http://www.washingtonpost.com/business/economy/50-years-after-the-march-the-economic-racial-gap-persists/2013/08/27/9081f012-0e66-11e3-8cdd-bcdc09410972_story.html
http://www.washingtonpost.com/politics/mlks-speech-attracted-fbis-intense-attention/2013/08/27/31c8ebd4-0f60-11e3-8cdd-bcdc09410972_story.html

どんどん進化し「ビジネス・チャンス」を広げていく出生前・着床前遺伝子診断技術

5月にフィラデルフィアで誕生した Connor Levy君については
以下のエントリーで紹介しましたが、



その続報のような形で書かれたWPの記事があり、
こうした次世代シーケンシング(NGS)による着床前診断技術の
ポテンシャルについて語られている。

この技術の先駆者である
オックスフォード大の Dagan Wells医師は、

30代前半の女性では胚の4分の1、
40代前半の女性では4分の3が異常なのに、
それらは顕微鏡では正常に見えてしまうので、
「着床させるのはどの胚にするべきか見極めるための、もっと良い方法が必要なのです」

「40代前半の夫婦が選ぼうと思ったら健康な胚が一つもない、
ということになる可能性もあるので、
生殖力が年齢とともに落ちる問題を
NGS技術が解決するわけではない」が、
若い女性ではIVFの着床率を上げるだろう、と。

スタンフォード大の法・生命科学センターのHank Greely氏は

「あまり遠くない将来の、ある時点で、
子どもを持とうとする人たちは自分の胚のゲノムを見て
病気になるとか、外見がどうかとか、どういう行動をとるか、男か女かといった
特性に基づいて胚を選ぶ技術的な能力を手に入れることになるでしょう」

世界中でこうした選別を禁じたとしても意味はない。なぜなら
「世界にはざっと200の国があります。
仮に199の国で禁じたとしても、
それは200番目の国にとって多大なビジネス・チャンスとなるだけですから」



WPには同じ日にもう一本、
こちらは新型出生前遺伝子診断技術に関する記事もあり、

こちらでは専門家の次のような発言が引用されている。

「手に入る情報はできる限り手に入れればいいじゃないですか」
前もって問題が分かっていれば、中絶を選ぶとか、
障害児をケアするための準備をあらかじめしておくことも含め、
親が選択肢を比較検討するのをhelpできるし、
子宮内胎児手術で子どもの生存率や予後を改善することもできる。

一方、この記事で紹介されているのはDenise Bratinaさんの事例。

Bratinaさんは4年前の37歳の時に、
羊水検査で胎児の染色体15にDNAの欠損があると言われた。
その欠損から起こる問題の可能性として、てんかん発作、心臓の奇形、発達の遅れのほか
多数の病気や障害を挙げられた。

通常なら、そんな小さな欠損までわかることはない。
が、Bratinaさんは染色体マイクロアレイ分析の研究の被験者だったので、
羊水検査で採取したサンプルのDNA検査で分かったのだった。

しかし同時に、その小さなDNAの欠損では
何も問題のない子どもが生まれる可能性もある、とも言われた。

5ヵ月後、健康な女児が生まれた。

研究チームがフォローアップの検診を提供してくれ、今のところ正常に発達しているし、
「将来、問題が起こってきたとしても、なぜかというのは分かるから」
検査でDNAの欠損が分かったことは喜んでいるというが、

中には健康な子どもが生まれた後にも、
心配がとまらない親もいる。

あまりに多くの情報は
病気や障害の直接の原因とは限らない遺伝子異常まで指摘してしまい、
親を混乱させるのではないか、と懸念する専門家も。

「検査を受ける人は、白黒はっきりつくと思っているし、
結果が不透明なことだってあると説明されても、その意味がちゃんと分かっていない」ために、

結果が不透明だった時に、
いつか病気になるんじゃないかと頭にこびりついて
子どもの健康や発達段階に過敏になる人もいる。



ちなみに、この記事に出てくる microarray検査を検索した時に引っかかってきたのが、
以下のレポート。

市場調査レポート 出生前診断の世界市場
Global Industry Analysts, Inc.  2012年7月1日 税抜きで439,971円

当たり前ですが、このレポートでは各種検査は「製品」です。

199の国で禁じたとしても、
それが200番目の国のビジネス・チャンスになるだけ――。
 

「重症化する患者を選別する」“患者管理”サービス、IT企業の「ビジネス・チャンス」

メディカル・コントロールと新・優生思想の周辺から出てくるニュースには
それまで想像もできなかった形の科学とテクノロジーの応用に仰天すると同時に、
考えてみれば、いろいろ起こっていることの当然の帰結だなぁ、と
改めて納得させられる……ということが、とても多いのですが、
そして、それが起こる間隔がどんどん狭まって
世の中の変化が加速しているとも感じているのですが、

これもまた、そういうニュース。

これまで思ってもみなかった、「無益な治療」論の今後の可能性――。
でもこれは、考えてみれば、やっぱり、これまで起こってきたことの当然の帰結――。


Altruista HealthというIT企業が
これまでの医療に関するデータの蓄積に基づいて
病院や医師が、病状が深刻化する患者を予測するためのアルゴリズムを開発。

この技術を、医療提供者に販売するのは
Hewlett-Packard社が所有するインドのIT企業、Mphasisの医療保険部門、Eldorado。

重篤になる患者を予測するだけではなくて、
最もコスト・パフォーマンスの良い治療の選択肢まで
提言するサービスとして。

記事には「一種のトリアージ」という表現も。

NYでメディケイド患者の医療費負担を担うNPOのAffinity Health Plan では、
Altruistaを使い始めて3ヶ月で、病院への再入院率が50%も下がった、という。

ワクチンや遺伝子診断技術に関する報道記事がそうであったように、
これもまたビジネス・セクションの記事。

「ワクチンの10年」がビジネス欄で語られる時にも使われていたように
ここでも a golden opportunity という経済アナリストの表現が目に付く。



Altruista社の創設者の一人、Ashish Kachru氏は
保険会社のビジネス・リスク管理部門の責任者だった人物。

そういう仕事をしていた時に、
「どの患者が治療を必要とするか、病院はもっとうまく決められるのに」と思った。

「つまり、患者の管理をどうやっているか、という点で
損失を出していたわけです」と同氏。

だから、つまり、このサービスのコンセプトは、
リスク管理」としての患者マネジメント、なわけですね。

Kachru氏は
「患者がヘルス・プランを利用する期間の平均約2年間だと分かりました。
そして、何らかの利益が出始めるには、
患者の健康を改善するために約2年間かかるということが分かったんです」

そこでCULAサン・ディエゴ校と提携して
膨大な医療データを収集、分析し始めたのが、この技術の始まり。

ここでも、考え方はこんな感じ? ↓
医療費削減に繋がるかどうかの問題? WPの新型遺伝子診断記事(2012/11/29)


で、頭に浮かぶのは、

新型遺伝子診断でも「情報提供」だとか、あくまでも判断をhelpするんだとか
もっともらしいことが言われつつ、実際は障害児の排除が進められていくように、
このプログラムも「情報提供」だとか、コストをかけない良質の医療への提言だとか
もっともらしいことが言われつつ、進められていくのは
重症化すると予測される患者の切捨てなのでは……?

でも、医療というのはもともと個別の問題なんだから、
これまでのデータに基づいて「この患者は重症化する確率が高く、コスト高患者の候補」とか
「これまで、この病気でこの症状の患者にこの治療は有効ではなかったから
高価な治療でもあり、この患者には勧めない」といった判断をされても

データで重症化する患者が8割だったからといって、
個々の特定の患者が重症化しない2割に入る可能性は否定できないし、

だからこそ、治療の選択肢と関連データをきちんと説明され
患者はそれを納得した上で治療に同意する、インフォームド・コンセントの重視なのであり、
そこにこそ患者の自己決定権の尊重があったはず。

医療というのは、あくまでも個々の患者の治療が目的なのに、
個々の患者の状態にはお構いなしにデータの確率論で
医療そのものが拒否されていくのなら、

このプログラムのコンセプトそのものが
個別の医療判断のあり方とは相容れないんでは? と思うのだけど、

米国の医療職の人たちって、そこのところ、どう感じておられるんでしょう?

そういうことが指摘されにくいように
メディケア患者から適用されていくのか……?



もう一つ、引っかかるのが、この会社の名称。

Altruistaって、
どう考えたって元になっているのは altruism という言葉ですよね。

だから、どうしてもeffective altruism を連想させられてしまうわけで ↓
Peter Singer「利他主義のすすめ」:5000ドルの途上国支援すれば腎臓1個提供するに相当(2013/8/4)

そうすると、このサービスが提唱していくことって、
「このサービスが提供する“一種のトリアージ”で引っかかった人は、
確率の低い医療を受けてメディケイドの限られた資源を無駄遣いするよりも、
そんな医療は受けずに、同じ金額を他の人の治療にまわしてあげるのが
貧乏な人にもできる効果的利他主義の実践」……???