アシュリーはどのような子なのか : 「重症障害児」を巡る思い込み

私が事実関係を確認する作業を行った1点目は、
アシュリーがどのような子どもであるかを正確に把握することでした。

まず最初に、論文の症例報告でアシュリーの障害について書かれた部分を確認してみます。

小児内分泌科に紹介されてきた時点で、アシュリーは6歳と7ヶ月だった。通常の妊娠と出産で問題なく産まれた白人女児。生後1ヶ月を過ぎてから、筋肉の低緊張、授乳困難、舞踏用動作、発達の遅れの兆しが見られた。神経、遺伝、発達小児科の専門医の診察を受けたが、原因は特定できなかった。最終的にはstatic encephalopathy with marked global developmental deficits と診断された。

最後の部分の「診断名」には、いかめしい単語が並んでいるので、
ややこしい難病をイメージする人もあるかもしれません。
が、実は意味は案外にシンプルで「顕著で広範な発達障害を伴う脳障害」ということ。

論文から、その他の該当部分を抜き出すと、

「診断の後、彼女の発達が乳児以上に進むことはなかった。
6歳当時、上体を起こすこと、歩くこと、言葉を使うことができない。栄養は胃ろう依存。
しかし、世話をしてもらったり優しくしてもらうと、
それに応えて声を出したり微笑み、他者にははっきりと反応する。
専門家の意見をまとめると、認知と神経の基本ラインは将来大きく改善されることはないとされる」。

また
「内分泌医の診察を受けた時点で、既に1年前から陰毛が生え、3ヶ月前から胸が膨らみ始めていた」
とも書かれています。

両親のブログでは、最初に現在9歳のアシュリーの様子が詳しく語られています。
それによると、アシュリーは頭を上げておくことも、
寝返りをうったり睡眠中に自分で体位を変えることも、
おもちゃを持ったり、自分で上体を起こすことも、歩いたり話したりも出来ない、
いわゆる全介助状態です。

「びっくりしやすい」とか「常に腕を動かし足を蹴っている」と書かれているのは、
中枢神経系に異常がある子どもによく見られる特徴でしょう。
アシュリーには外見的な体の変形はなく、
身体的には正常に発達しており健康状態は安定しています。
また意識ははっきりしており、自分の周囲のことを分かっています。
家族のことも判っているようだけれど、確信は持てない。
これは
「そばに人がいることには明らかに気づいているのに目を合わせることは滅多にない」
からかもしれません。

別のところには
「家族の声を聞くと落ち着く」、
「家族の声かけにはよく微笑み、喜びを表す」ともあります。

また、頭が枕からずり落ちたり、髪の毛が顔に落ちかかったりして困った時には、泣いて訴えます。

アシュリーは学校のspecial education のクラスにも通っています。
熱心にテレビを見ているようにみえることもあるし、音楽が大好き。
気に入った音楽を聴くと、声を出して足を蹴り、
手で踊るような指揮を取るような動きを見せてはしゃぐといいます。
お気に入りのオペラ歌手がいて、
家族はその歌手を「アシュリーのボーイフレンド」と呼んでいます。
また、
「生後3ヶ月の時から認知と精神発達能力はずっと同じレベルにある」とも書かれています。

なお、両親はともに大学教育を受けた専門職。
アシュリーには弟と妹が一人ずつあり、
彼女のケアを担っているのは両親と祖母2人。

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以上が、論文と両親のブログから拾ったアシュリー像です。

これらの記述をきちんと読めば起こるはずのないことですが、
論争の中では彼女が植物状態にあるかのような誤解をした人たちが非常に多く見かけられました。

日本では最初に報道したニュースサイトの中に
「アシュリーの知的機能は既に失われており」との事実誤認があったので、
その影響は確かにあったと思いますが、

「こういう子は静かに死なせてやるほうが本人のため」など、
英語圏のブロガーたちの議論の中にも相当見られた誤解でした。

私の身近でも、植物状態に近いイメージで議論している方があったので、
上記の記述を抜き出して「アシュリーはこういう子どもですよ」と提示してみました。
返ってきた言葉が非常に象徴的です。
「送っていただいた資料を見ると、確かに人間らしい反応が見てとれます」。

いかに多くの人が事実を確認せず、
「重症児だから、どうせ人間らしい反応などないのだろう」とか
「どうせ何も分からないのだろう」との思い込みの上に立って、この問題を議論したかを考えると、
非常に恐ろしいものがあります。

ひとつには、
世の中の多くの人たちはアシュリーのような重症障害のある人たちに直接触れる機会がないので、
単純に「分からない」、「知らない」、または「想像もつかない」のでしょう。

けれど、もう1つ、このような誤解や混同を生んだ原因として、
論文にも両親のブログにもメディアの報道にも登場した、
あの”診断名”static encephalopathy with marked global developmental deficits
も寄与したのではないかと、私は推察しています。