親と医師は言うことが違う ①知的レベル

医師らと両親の発言の食い違いの中で、私が重大だと思うものの1つはアシュリーの知的レベルに関する点です。

両親のブログにはアシュリーの知的レベルについて、「生後3ヶ月の時から認知と精神発達能力はずっと同じレベルにある」と書かれています。アシュリーの知能レベルには多くの人が論争の中で触れていて、ほとんどの人がブログのこの箇所をそのまま採用しています。一番多いのは、アシュリーに行われた医療処置について賛成・賛同・擁護・容認する立場の人たちが、それぞれ是とする根拠の一つとして「アシュリーのメンタルレベルは生後3ヶ月なのだから」と言及する場合。アシュリーの知的レベルがどの程度かという点は、この論争の非常に重要なポイントと言ってもいいでしょう。

では、論文ではアシュリーの知的能力について、どう書かれているでしょう。論文では「他者への反応はある」という趣旨の1文がある他、「重度の認知障害」、「重篤な認知の損傷」といった抽象的な表現しかありません。月齢で捉えるということそのものをしていないのです。
しかし、論文執筆者の1人であるDiekema医師はメディアで発言する際には、ほぼ一貫してアシュリーのメンタル・レベルを生後6ヶ月と述べています。「ほぼ」というのは、2月9日付けのSalon.comの記事では、今度は「生後3ヶ月」と語っているからです。そしてシンポでは、完全に断言するほど確かな記憶ではありませんが、彼は月齢を使わず「乳児並」という言葉を使っていたように思います。

メンタル・レベル生後3ヶ月と生後6ヶ月との間の差は、そんなに大きな違いはないのかもしれないので、ここでは問わないことにします。気になるのは、その根拠です。
両親のブログにある、生後3ヶ月の頃から知的発達が止まったという見解は、ともに暮らしてきた中での観察を率直に述べたものでしょう。つまり、両親はそういうふうに感じている、という主観的観察です。ブログの他の箇所には、実験的なものまで含めて可能な限りの検査を行ったと書いてあるのですが、特に触れてないことを考えると、その中に発達検査や知能検査は入っていなかったのでしょうか。

次に、Diekema医師がアシュリーのメンタル・レベルを生後6ヶ月とする根拠は一体どこにあるのでしょう。
1月12日のCNN「ラリー・キング・ライブ」での当人の発言によると、彼がアシュリーに初めて会ったのは、シアトル子ども病院内分泌科に紹介されてきたアシュリーの6歳7ヶ月時以降なのだから、彼には両親のような観察をすることはできなかったはずです。では、彼はどこからこの生後6ヶ月という数字を持ってきたのでしょう。そして、なぜそれが後では3ヶ月に変わったのでしょうか。

WPASの報告書に添付された2004年5月の倫理委の資料では、「発達レベル6ヶ月以下?」と、どういう意味なのか疑問符がつけられています。論文が発表されたのが2006年の10月。両親のブログが立ち上げられたのが2007年1月1日深夜。そしてDiekema医師がメディアで発言しているのが、それ以降です。これらを時期によって順に書いてみると、以下のようになります。

2004年5月    「生後6ヶ月以下?」

2006年10月    「他者への反応はある」「重度の認知障害」、「重篤な認知の損傷」

2007年1月1日  「生後3ヶ月で知的機能の発達が止まった」

    1月11日  「アシュリーの脳が生後6ヶ月なのだったら、6ヶ月として扱われるべきなんじゃないでしょう               か。……アシュリーを大人として扱うことが適切かどうか、私にははっきりとは分かりません。             本人がどう扱われたいかでしょう。生後6ヶ月の世界に反応するのであれば、6ヶ月として接            するのが尊厳ある接し方じゃないですか」

    1月12日   「理解する能力で言えば、彼女は6ヶ月児のままでしょう」

    2月9日   「アシュリーの生活というのは、生後3ヶ月の生活です」

 太字が両親の観察です。他はすべて医師らの発言。倫理委で6ヶ月以下とされていたはずが、論文を書いた時点では漠然と「重度」、「重篤」。両親のブログの「生後3ヶ月」を挟んで、また「生後6ヶ月」。そして2月にはまた生後3ヶ月……。

このようなDiekema医師の表現の変化は、一体どこから来るのでしょう。倫理委の段階で、発達検査を行って生後6ヶ月以下との判定結果が出ていたのでしょうか。では論文では、それを書かずに「重度」とか「重篤」としたのは? それとも、論文を書いた後に発達検査を行って生後6ヶ月と判定したので、疑問符が取れて発言し始めたものでしょうか。しかし、いずれにしても1月2日以前に受けた検査であれば、当然のことながら両親のブログに登場するはずなので、受けていたとしても、それ以後のことになります。では、メディアが沸騰し、病院にも取材が押し寄せているはずの1月3日から11日までの間に受けたのでしょうか。仮にそんなことがありえたとしたら、医師は番組で批判的なニュアンスの質問を受け、それに応えているのですから、具体的な検査名と検査の日をきちんと述べた方が説得力があるはず。さらに言えば、検査を受けて出た結果であれば、その後6ヶ月から3ヶ月とぐらつくことも考え難いのですが。
 彼は「3ヶ月ないし6ヶ月」と一貫して言っているのではなく、「6ヶ月」と言っていたものが「3ヶ月」に変わっているのです。

 コトは「アシュリーへのクリスマス・プレゼントには、月齢何ヶ月の子を対象にした玩具がふさわしいでしょう」というような他愛ない話ではありません。多くの人が、このような医師の発言から「アシュリーの知的レベルは生後3ヶ月または6ヶ月だと医学的に証明されている」という前提に立って、“アシュリー療法”の是非を云々しているのです。そのことの重大さを念頭に、もう一度上記の時系列での発言の変化を見た時に、私には納得できないものが残ります。アシュリーの知的レベルは、実は、専門的な発達検査で判定されていないのではないでしょうか。

ちなみに私自身は、発達検査も含め、知的障害のある人の知能レベルについて安易に評価を下すことには、あまり意味を認めたくない立場をとっています。特に月齢で評価することはむしろ危険だとも考えています。「わかっていると証明できない」ことは、「分からないことが証明できた」ことと同じではないからです。
しかしながら、Diekema医師はあちこちで発言し、シンポでも言っていたように、今後適応を検討するケースの条件として「乳児並の知能」と「歩かないこと」の2点をあげているのです。広く使われている発達検査が複数あることは、障害児医療にかかわっている医師なら知らないはずはありません。知的レベルを根拠とする以上、少なくとも発達検査を行い、用いた検査の名前、検査方法、検査日時、観察者、などが明らかにされるべきでしょう。アシュリーのケースのように医師がなんら実証もせず、「この子の知的レベルは生後6ヶ月くらい」と言えば倫理上の問題がクリアされてしまうのであれば、こんな危険なことはありません。

それに、「乳児並み」とは彼は何ヶ月相当で線を引くつもりなのか。いったい誰が、どういう方法で実証したら、その線を引けるというのか。が、この点はまた別の問題になるでしょう。