static encephalopathy について

Anne McDonald さんは、Seattle Post-Inteligencerに寄せた記事の中で、
自分はピーター・シンガーの友人であり、倫理と障害について議論したこともあると書いています。
にもかかわらず、シンガーがニューヨークタイムズに既に有名になった例の論評を書いた際に、
自分に連絡がなかったと延べ、続いて以下のように書いています。

これはきっと、アシュリーは static encephalopathy だと説明されているからでしょう。
どちらかというとありふれた状態に対して、むしろ珍しい名前です。

static encephalopathyとは、ただ単に「悪化することのない脳損傷」という意味に過ぎません。

時として、妊娠中の薬物使用を原因とする脳損傷の言い替えに使われることもありますが、
この状態で最も多いのは薬物使用とは無関係な脳性まひです。

アシュリーも私も脳性まひなのです。

アシュリーのドクターたちは、
自分たちが提唱しているのが脳性まひの少女たちの成長を抑制し思春期を防ごうということだと知られたら当然起こる非難の声を避けようとして、
static encephalopathy という用語を使ったのかもしれません。

引用冒頭の「これはきっと」の部分は、ピーター・シンガー
static encephalopathy と診断されているアシュリーの状態は、脳性まひであるMcDonald さんとは全く別の、
はるかに重篤な障害であると受け止め、
そのためにアシュリーの件について論評するに当たって
McDonaldさんに相談するには当たらないと判断したと推理しているわけです。

実は、このencephalopathy という診断名については、
「アシュリーはどのような子どもなのか」を巡って
親と医師らの発言が微妙に食い違っている点でもあります。

医師らは論文で、
アシュリーには様々な専門分野の検査が行われたが原因を特定できず、
顕著で広範な発達障害を伴うstatic encephalopathy (非進行性の脳障害)と「診断された」
としているのに対して、

両親はブログで
「様々な分野の専門家が知られる限りの検査を行ったが診断も原因も見つけられませんでした。
医師らはアシュリーの状態を“原因不明のstatic encephalopathy”と呼んでいます」
と書き、どちらかというと診断名としない立場をとっているのです。

それからもう1つ、
こちらは食い違いではなく、両親だけが書いており医師らが触れていないこと。

それは「アシュリーは健康な子どもである」という事実です。

「知的な発達が異常であることを除けば、アシュリーは健康な子ども」と両親はブログに書いています。この点は論争の中で誤解していた人が多いので、注意を要する点だと思います。

「障害者」の多様な実態に触れることがない人には、分かりにくい点なのかもしれませんが、
重い障害があっても健康で、滅多に病院の世話にはならないという障害者も世の中にはたくさんいます。
重症障害児・者の中には病弱な人も確かにたくさんいますが、
だからといって「重症の障害がある」ということが
必ずしも「病弱である」ということを意味するとは限らないのです。

メディアの報道では、static encephalopathy と書いた後に
非進行性の brain damage またはbrain impairment と解説を書いた記事が一番多く、
ついで最初から brain damage または brain impairment とのみ書いた記事もありました。
中には解説なしに static encephalopathy とのみ書いた記事もあったように思います。

static encephalopathyという診断名だけを書いた記事を読んだ人の中には、
いかにも高度な専門用語然とした単語の顔つきに目を奪われて
「なんだか、ややこしそうな難病なんだな」といった
誤った理解をした人もあったのではないでしょうか。

そのためか、アシュリーの状態について、論争の中で
「重い脳の病気」であるとか「現代医学では治せない難病」と誤解していた人が見られましたが、
こういう思い込みには、アシュリーが健康な子どもであるという事実を
見えにくくしてしまう危険性があるように思います。

そうしたイメージは、「療法」や「手術」という医療介入とアシュリーの距離を
最初から近いものと想定してしまうのではないでしょうか。
それによってアシュリーが手術を受けたり、何らかの“治療”、“療法”を受けることへの違和感が
最初から薄れてしまうとしたら、それは気をつけなければならないことのように思います。

Anne McDonald さんが言うように、
static encephalopathy という診断名によって、
シンガーを初め多くの人が、アシュリーの状態を「脳性まひ」や「重症心身障害」とはまったく別の、
非常に特異な障害であるかのように誤解したとしたら、

そしてもしも、

アシュリーの診断名が「脳性まひ」や「重症心身障害」とされていた場合に
周囲の受け止めが違ったものになっていた可能性があるとしたら、

我々はやはり、
言葉やイメージに左右されて
「健康な子どもから健康な臓器が摘出された」のだという事実を見失うことのないように、
気をつけなければならないのではないでしょうか。