論文内容と倫理委コンセンサスの矛盾

「医師の言うことを否定して見せる親」で述べたように、両親はブログで、これら一連の処置を行ったのは本人のQOLの維持向上のためであり、それ以外は付随的な問題に過ぎないと繰り返しています。いかなる状況であっても自分たちは家でアシュリーをケアし続けるのだから、在宅介護の“期間“など、初めから問題にならないというのです。他人の手を借りるということもありえないのだから、そのことへの不安からしたことでもない。一連の処置は、ひとえにアシュリー本人のQOLのため。2004年5月5日に倫理委員会の冒頭でプレゼンを行った際にも、そう強く力説したことでしょう。

以上のことから、次のような疑問が生じます。

そのような親の主張を当然知っていたはずの医師らは、何故それとは違うことを論文に書いたのでしょうか。詳しくは「医師らの論文のマヤカシと不思議」という書庫にある記事を参照してもらいたいのですが、論文ではまずアブストラクトで家族介護の負担軽減というメリットを前面に打ち出しています。さらに本文冒頭では、連邦政府の障害児福祉施策の施設入所から在宅重視への転換が紹介されます。それに続く本文も、成長抑制は家族介護の負担軽減につながり、家庭でケアできる期間を延ばすことに繋がるとの趣旨のように読めます。副題もその線に沿ったものです。

このような論文の内容について、在宅介護の期間を延ばすためにやったことではないとゴチック体にしてまで否定する両親は、「自分たちの考えや言っていることを医師らが十分に分かっていない」と不満なのでしょう。が、医師らは本当に分かっていなかったのでしょうか。Gunther医師は最初に相談を受け、親のアイディアを具体的な計画にした人物です。その後の実施にも責任者として携わっています。Diekema医師もその時期から倫理カウンセラーとしてこのケースを担当しています。さらに倫理委ではパワーポイントを使っての1時間近いプレゼンも聞いたのですから、親の言っていることは分かっていたはず。それならば、自分たちが論文に書こうとしていることが親の主張と異なっていることも、十分知っていたのではないでしょうか。

それでもなお親の主張と違うことを書いたのは、なぜか。

それは医師らが、もうひとつ別のことも知っていたからではないでしょうか。本人のQOL向上のためだけにこのような医療介入を行ったと書いたのでは、世の中には受け入れられないということ。

ここに両親のもうひとつの否定が関わってきます。両親はブログで3つの医療処置をその目的と合わせて明快に挙げ、成長抑制のみを主に書いた医師らの論文の書き方を否定しています。確かに、もともと両親のアイディアであり、両親の主張と説明を医師らが受け入れ認めたうえで実施に至ったという経緯でした。両親にすれば、自分たちの主張を受け入れたのだから、その通りに書いてくれるものと思ったのでしょう。では、両親の認識の通りに書かれたとすると、論文の趣旨はどうなったでしょうか。成長抑制と子宮摘出と乳房芽の切除をそれぞれの目的とともに列挙し、それらすべてを「本人のQOL向上のため」に実施したという症例報告を行い、これは倫理委員会が承認したことである、同じ処置によって世の障害児のQOLも向上させることができる、よって広く提唱したい、という内容の論文になります。そんな論文は世の中には受け入れられない、と医師らは知っていたのではないでしょうか。

「重症児の身長をストップすれば介護負担が軽減されて在宅介護で親がケアできる期間が延長できる。QOLの向上など本人へのメリットもあるし、なによりも政府の在宅化推進という施策の方向にも合致している」とでも言いたそうな書き方は、論文を書くに当たって、なんとか世の中に受け入れてもらえそうな(誤魔化せそうな?)範囲を必死で探った執筆者が、かろうじて見つけたギリギリの線だったのではないでしょうか。だから、両親がブログで書いていることと、医師らの論文とは、いわば“ヴァージョン”が違わざるを得なかったのではないでしょうか。

ここからはさらに2つの疑問が浮かんできます。

1.そうまでして、なぜ論文を書いたのでしょうか。この点は既に「まだある論文の不思議 その5」   
の中でも簡単に触れましたが、論文発表まで、すでに2年以上もアシュリーに行われたことは表に出ていませんでした。医師らはその2年間ずっと口をつぐんでいたのです。もしかしたら、そのまま表に出ないことを望んでいた、本当は医師らは論文発表などしたくなかったのではないでしょうか。事実のままに書くわけにいかないと知っていたからこそ、上記のような工夫をしたはずです。既に詳しく述べましたが(「医師らの論文のマヤカシと不思議」の書庫を参照してください)、相当に苦しいゴマカシの工夫をしています。そこまでしなければ書けなかったということは、医師らが自ら望んで書いたというよりも、書かざるを得ない事情が何かあったから、そのような工夫をする以外にはなかったということなのではないでしょうか。

2.親が言っている通りに論文に書くわけにいかないと医師らが考えていたとすれば、親の言う理由で親の望んだ通りのことをアシュリーに行った自らの行為には倫理上の問題があると、実は知っていたことにならないでしょうか。そして、それは、倫理委員会がコンセンサスによって親の要望を承認したという医師らの主張と矛盾するのではないでしょうか。