医師の言うことを否定してみせる親

「親と医師の言うことは違う ③論文の挙げる“なぜ”」で、「アシュリーにこのような処置が行われたのは何故か」について論文に書かれた一節を、両親がブログで否定していることを指摘しました。その箇所によると、このまま成長したら他人に託す以外になくなることを案じたからでも、在宅介護の期間を長くしたかったからでもないとのことでした。では、両親がこれら一連の処置を望んだ理由は何だったのでしょうか。

両親はアシュリーにこれらの処置を望んだ理由を、ひとえに「本人のQOLの維持向上のため」であるとブログで何度も主張しています。特にわざわざゴシック体にして強調している一説があるので、そのまま引用してみます。

療法について広く見られる基本的な誤解は、療法が介護者の便宜を意図したものだというものです。そうではなくて、主な目的はアシュリーのQOLを改善することです。アシュリーの最も大きな課題は不快と退屈なのですから。この中心的な課題に比べると、この議論の中のそれ以外の問題はたいしたものではありません。“アシュリー療法”はずばりこれらの課題に対応するもので、それによってこの2つの課題が大きく緩和され、アシュリーに生涯にわたってメリットをもたらすと我々は強く信じています。
ほとんどの人が考えているのとは異なり、“アシュリー療法”をやろうというのは難しい決断ではありませんでした。生理痛がなくて、発達しきった大きな乳房からくる不快がなくて、常に横になっているのによりふさわしく、移動もさせてもらいやすい小さくて軽い体の方が、アシュリーは肉体的にはるかに快適でしょう。
アシュリーの体が小さく軽いことによって、家族のイベントや行事にも参加させやすくなりますし、そうした機会はアシュリーに必要な安楽、親密さ、安心感と愛情を与えてくれるものです。たとえば食事の時間、ドライブ、触れてもらったり、抱いて甘えさせてもらったり、といったことなど。赤ちゃんというのはだいたい、目を覚ましている時には家族のいるのと同じ部屋においてもらって、家族のすることを見たり聞いたりしてはそれに注意を引かれ、それを楽しんでいます。同じようにアシュリーにも赤ちゃんと同じニーズが全てあるのです。遊んでもらったり、家族に関わってもらうことも必要だし、またアシュリーは家族の声を聞くと落ち着きます。さらに、アシュリーの精神年齢を考えると、完全に成熟した女性の体よりも9歳半の体のほうがふさわしいし、より尊厳があるのです。

両親のブログthe Ashley Treatmentより

主要な目的はアシュリーのQOLの改善であることをはっきり書き、その後、これらの処置のメリットが述べられています。恐らく、2004年5月5日の倫理委員会のプレゼンテーションでも、これと同じ主張が行われたものと思われます。メリットに関して言えば、医師らが論文に書いた内容やメディアでの発言は、ここに挙げられたものとぴったり一致しています。メリットの点では文句はなかったのでしょう。医師らの論文で両親が不満だったのは、行われたことの内容についての書き方と、自分たちがこれらの処置を求めた動機についての2点でした。

「親と医師は言うことが違う ②3つの処置の関係」では、行われたことの中心に成長抑制を据えて他は曖昧なままにした論文の書き方に対して、両親は「成長抑制はアシュリー療法の1つの側面に過ぎません」と否定していました。

「親と医師は言うことが違う ③論文の挙げる“なぜ”」では、自分たちでケアできる期間を延ばしたかったことが両親の動機だったように書いた部分について、やはり「在宅ケアの期間を延ばすためにやったことではありません」と明言し、どんなことがあっても赤の他人に託すことは決してしないと書いて、医師らの発言を否定していました。

いずれも、ニベもないほど、きっぱりとした否定です。私は医師らの論文を読み、次いで両親のブログを読んだ際に、この2つの否定に違和感を覚えました。患者の親が医師の言うことを否定しているのです。医師のほうが親の言うことを否定しているのではありません。通常の「患者の親―医師」の関係性で考えた場合、自分の子どもの主治医の発言をこれほどきっぱりと否定できるでしょうか。通常なら医師に対して失礼になると考え、あるいは医師の不興を買うことを恐れて、親の立場でこれほどあからさまな否定は出来にくいように思われます。

もちろん、大きな批判を受けている状況を考えると、自分たちの意図を誤解されたくない気持ちは強いでしょう。しかし、それでもなお、自分の子どもの担当医がすでに論文に書いた内容を否定するのであれば、もう少し軟らかな表現や婉曲な言い方を工夫するのではないでしょうか。アシュリーの両親は大胆とも思えるシンプルさで医師の言うことを否定します。

アシュリーの両親は、自分たち親の考えや言っていることを医師らが把握・理解し、そこから逸脱せず、その通りになぞって発言することを当たり前だと考えてでもいるのでしょうか。