成長抑制は結局は3点セットの"A療法"になる?

これは、What Sorts of Peopleの小山さんの記事に対するコメントで
カナダAlberta大学のSobsey教授が指摘している点でもあるのですが、

今回の子ども病院のワーキング・グループは成長抑制のみにフォーカスしたもので、
ホルモン投与による成長抑制のみが行われるような印象を与えますが、

Sobsey氏が指摘しているようにエストロゲンに発がん性があることは
既に女性の(特に更年期の女性にとっては)常識です。

米国で、乳がんリスクの研究が発表された翌日に
ホルモン補充療法をやっていた更年期の女性の半数がとりやめたという話もありました。
そのために数年後には乳がん患者の数が減ったというニュースも読んだ記憶があります。

特に乳がんと子宮がんの発ガンリスクが高くなるということになれば、
昨今の米国で耳にする予防的臓器切除が頭に浮かびます。
しかも、ここで我々が考えているのは
4歳から6歳の我が子の体に平気で
発がん性のあるホルモンを大量にぶち込もうという親なわけだから、
おそらく「ついでに乳房と子宮も切除しておけば、発ガンリスクの問題は解決」と
しごく“合理的な”判断をするのではないでしょうか。
Ashleyの父親と同じように。

また、私がこの点で気になるのは
2006年のGunther&Diekema論文では
子宮摘出の目的がホルモン療法による出血予防のためとされていること。

成長抑制のためにエストロゲンを大量に投与すると子宮から出血するリスクがあるから
その出血を防ぐために、予め外科手術を行って子宮を取っておく必要があった、と。

もちろん、改めて、ここにこの部分だけを取り出すと、
とんでもなく倒錯した理屈だというのは一目瞭然ですが、

しかし、成長抑制についてのみ書かれたあの論文の数箇所に
さりげなく「予防的子宮摘出」としてもぐりこませてあると
読者はほとんど気にも留めずに読みすごしてしまうようです。
実際に、このマヤカシに気づいたのは、あの2007年の騒ぎの中で私だけだったのだから。

これは、
実は別目的で父親が求め、倫理委がズルで認めて、こっそり実施してしまった子宮摘出を
あたかもそういう事実などなかったかのように、
あたかもホルモン治療に付随する必要悪だったかのように見せるための
Diekema医師らの巧妙な隠蔽工作だったと当ブログでは考えてきましたが、

しかし、今回の子ども病院のシンポで出てきた
「個別の倫理検討に裁判所の判断を仰ぐ必要はない」との見解とともに
この論文の、成長抑制の副作用予防手段としての子宮摘出の位置づけを振り返ると、

本来であれば多くの州で
本人の意思によらない知的障害者への子宮摘出に必要だとされている裁判所の命令も
Ashleyの両親の弁護士が使った「不妊が目的ではない」という理由で
すっ飛ばされる可能性があるということなのでは?

つまり、それは、
成長抑制療法を隠れ蓑に、
子宮摘出も乳房摘出もセットで行われてしまう可能性があるということなのでは?

そう――。

Ashleyの父親が望んでいるように
まさに“Ashley療法”そのものが広められていくということなのでは?