小児科医療の「リスクvs利益」検討における「手術リスク」:Diekema医師の公式見解

Ashley事件におけるDiekemaらの正当化の中で私がずっと不思議だったことの一つに、
開腹手術のリスクが一切言われないことがありました。

これもまた偶然拾った“お宝”なのですが、

外科手術のリスクについて
Diekema医師が法廷での証言で語っている資料を見つけました。


時は2006年1月。
Ashleyの手術から約1年半後、
あのGuntherとの共著論文を書く数ヶ月前……とでもいったタイミングでしょうか。

ワシントン州で、男児の包皮切除が失敗したケースが裁判となり(死亡例も結構あるようです)、
そこに専門家として呼ばれて証言を求められたもののようです。そのポイントは
外科手術のリスク」と「医師が適切な利益対リスク検討を行う責任」について。

まさにAshley事件に、そのまま当てはまるポイントです。
当てはまる個所の発言を抜いてみると、

Non-therapeutic procedures that involve excessive risk should be avoided. An appendectomy on a healthy child, who has no history or symptoms of an appendicitis and who is not undergoing an abdominal surgery for other therapeutic reasons, for instance, would not be ethically justifiable because the absence of benefit to the child would not justify the surgical risks.

過度なリスクを伴うなら治療目的ではない医療は避けるべきである。例えば、盲腸炎の病歴も症状もなく、その他の治療上の理由による開腹手術を受ける予定もない健康な子どもの盲腸切除術は倫理的に正当化できない。なぜなら、その手術のリスクを正当化する利益が子どもにはないからだ。

Ashleyの盲腸は確かに開腹手術の“ついでに”切除されたものですが
その開腹手術は「治療上の理由」によるものではありませんでした。

で、彼が考える「手術のリスク」の具体的な内容はというと、

…a surgical procedure can only be justified when the benefits likely to accrue to the patient outweigh the harms that might arise from surgery – pain, possibility of death or complications.

患者にとっての利益がその手術から起こるリスク―痛み、死と合併症の可能性―を上回る場合にのみ、外科手術は正当化される

痛みと、死と合併症の可能性――。
それが生命倫理学者Douglas Diekemaの考える「外科手術のリスク」なのです。

外科手術は、死の可能性を賭してでも得るべき患者への利益がある場合のみ正当化される
Diekema医師は、そう言っているわけですね。

そういう「外科手術のリスク」観を持ち、
盲腸切除術で上記のようなことを言う倫理学者ならば、
健康な子どもに行う子宮摘出術や乳房摘出術での「手術のリスク」については
さらに重要視し、慎重に手術の是非を判断するはずです。

ところが、

06年のGunther & Diekema論文が
「予防的子宮摘出」の「利点」をずらずらと挙げた後で、
そのリスクについて書いているのは

The risks of this surgical procedure in prepubertal girls, and the risks of long-term complications, are minimal- certainly they do not excess risk of similar procedures many of these children will experience as part of their medical care.

思春期前の少女での子宮摘出術のリスク(複数形)と長期的合併症のリスクはミニマルなものである。それらのリスクは、こうした子どもたちの多くが受ける医療の中の、同様の治療のリスクを超えるものでは決してない。

また、2010年のFostとの共著論文では、

any risk-benefit analysis of hysterectomy and breast bud removal cannot ignore the potential benefits of ameliorating or avoiding breast discomfort, menstrual cramps, pelvic exams, and Pap smears, and any consideration of harms of the alternative treatments that would have been necessary (e.g., 30 years of birth control measures, anesthesia for gynecological exams and mammograms, breast biopsies, etc.)

子宮摘出と乳房芽摘出のリスク対利益検討では、乳房の不快感、生理痛、性器診察、子宮癌検査を和らげたり避けたりする利益の可能性を無視することはできない。さらに、子宮があれば必要になるであろう代替え療法(30年も避妊薬を続けること、婦人科の検査のために欠ける麻酔や、マンモグラフ、乳房の生検査など)の害も無視できない。

一見、後半部分で「害」について検討しているように見えますが、
これは摘出手術によって「取り除かれる害」のことを言っているのであって
あくまでも「利益」を云々しているにすぎません。

一方、著者は「手術のリスク」については、またも過小に書きます。

Hysterectomy is a common procedure with a low incident of serious harm performed for many reasons, including those cited in Ashley’s case. Breast bud removal is also an accepted procedure, …..

子宮摘出は、重大な害が起こることの少ない、ありふれた治療で、Ashleyの症例で挙げられたものを含めて多くの理由で行われている。


利益を数える際には、
あるかどうかも分からない生理痛や
将来Ashleyが受けることになるかどうかも分からない検査や、そのための麻酔までが
「取り除かれてよかった害」としてほじくり出されて「無視できない」と力みつつ、

「死と合併症の可能性」というリスクは丸無視する。

それは、いったい、どういう生命倫理学者の
いったい、どういう「リスク対利益」検討なのか?


さらに治療の侵襲度や親の意向についても、
06年の法廷での証言でDiekema医師は興味深い発言をしています。

A parent or proxy decision-maker would not be offered surgery as an option until the less harmful therapy had been attempted and demonstrated to be unsuccessful.

外科手術が選択肢として親や代理決定者に提示されるのは、より害の少ない療法を試みて、その効果がなかったことがはっきりした後のことである。

また、彼は米国小児科学会の声明の以下の部分に同感だとも言います。

…Providers have legal and ethical duties to their child patients to render competent medical care based on what the patient needs, not what someone else expresses….The pediatrician’s responsibilities to his or her patient exists independent of parental desires or proxy consent.

医療提供者には小児患者に対して、誰か他の人の言い分ではなく、患者のニーズに基づいて、有効な医療を行う法的また倫理的な義務がある。……患者に対する小児科医の責任は、親の望みや代理決定者の同意とは独立して存在するものである


ふ~む……。

2004年のシアトルこども病院の特別倫理委が
父親のブログによると当初は「乳房切除をしぶっていた」にも関わらず
父親のプレゼンの後で(つまり「誰か他の人の言い分」を聞いた後で)納得し、
「親に決めさせてあげよう」という結論に至った(Diekemaの08年の講演での証言)……
……というのは、上記の声明に照らせば、まったく不可解な話です。

また、成長抑制ワーキング・グループの論文が
「親の望みとは独立した医師の患者に対する責任」を言わず、
ひたすら「医療に関する親の意思決定の尊重」を言い、
「親と共に行う意思決定(shared decision-making)」を説いているのも妙な話。

WGの論文といえば、
「女児の場合には成長抑制と子宮摘出は分かち難い」と認めつつ
「ここでは子宮摘出については論じないこととする」と断っているのも言語道断。

それは「女児の成長抑制には外科手術のリスクがあり得ます」と認めつつ、
「でも、痛みや死と合併症の可能性は問題にしない」と言っているわけで
(しかも「治療上の理由なしに課せられる外科手術のリスク」なわけですが)

そうしておいて、この論文は
「成長抑制療法のリスク対利益」は通常の重症児医療での親の意思決定の場合と同じだから
条件によっては道徳的に正当化される……と「妥協点」と称して「結論」づける。

それもまた、いったい、どういう「成長抑制のリスク対利益」検討なのか?

Diekema医師が、実はちゃんと認識している手術リスクを
”Ashley療法”論争で意図的に無視してきたことは、この法廷での証言から明らか。

要するに、アンタらがやってきたことは、
06年の論文から今回のWGのHCR論文に至るまで、
ただの「利益と利益の検討」じゃないか――。