A事件「乳房芽切除」に疑義を呈するブログ記事

このところ久しぶりにAshley事件に関する論文が2つ続いています。
多くの人がもはや興味を失ったばかりか忘れ去ってしまったかのように思える今
なおこの事件に興味を持っている研究者の方もあるというのが嬉しい。

まず、そのうちの1つ。

カナダのAlberta大学の教育心理学の教授で
発達障害センターと医療倫理センターのディレクターを務めるDr. Richard Sobsey

当ブログでも当初から指摘してきた「乳房芽の切除」に関する疑念について
生命倫理関連の研究者らのブログで書いています。

Mastectomy, not mastectomy
By Richard Sobsey
What Sorts of People, July 16, 2008


Sobsey氏は2007年冬に
Growth Attenuation and Indirect-Benefit Rationaleと題した論文を
Newsletter of the Network on Ethics and Intellectual Disability誌(Vol.10, No.1)に発表しているのですが、
その際には乳房芽の切除については知らずに書いたために
重要な点を取りこぼした内容になってしまったとして、改めて

なぜ主治医らは2006年秋の論文で乳房芽の切除について書かなかったのか」との
謎に迫っています。

彼が提示する疑問は2点で、

主治医らはメディアのインタビューでの発言のように、
本当にAshleyに行われた手術は通常の乳房切除とは別物だと信じていたのか。

当初は触れられることがなかった乳房芽の切除が
途中から何故とりわけ強調されているのか。

① については、当ブログでも指摘したように
WPASの調査報告書に添付されている特別倫理委の議事録の中では
Mastectomy(乳房切除)という認識で捉えられていることがまず指摘されます。

次に、これは私も見落としていたのですが、
同じくWPASの調査報告書に添付のAshleyの入院費支払い明細(Exhibit R)に
BILAT SIMPLE MASTECTOMY(両側の単純乳房切除術)という費目がある、と
驚くべき事実を明かしてくれます。

「つまり、支払いの際には、
乳房切除と呼ぶにはあまりに小さな手術だと説明する必要を感じた人は
どこにもいなかったのである」

② については、自分としては
乳房切除の心理的・肉体的・社会的影響についての意識の低さに関係するのではないかと思うが、
実際のところよく分からないので、他の人たちの考えを聞きたい……

とした後、最後にSobsey氏は
Spitzibaraの英語ブログのリンクを置いてくれました。

7月10日のエントリー “It was ‘mastectomy’, not ‘breast bud removal’ in 2004”
Sobsey氏と同じ疑義を呈し、
主治医らは乳房切除については間違ったことをしたという自覚があって、本当は隠したかった、
そのために父親がブログですべてを明かした後は
実際に行ったことを過小に申告しようとしたのでは、と
指摘しているためと思われます。

          ―――――――

Dick Sobsey氏は2007年1月の論争当初に
The Seattle Timesの社説に対して、
「Diekema医師は当該ケースの直接担当者として
今回の判断をディフェンドするのは当然ではあるが、
同時に利益関係のない専門家として解説までするのはおかしい」と
至極まっとうなコメントを入れた人です。