医学生のAshley論文に漂う「医の文化」?

The Lancet 誌が“世界中の学生がグローバル・ヘルスに興味をもってくれるよう”
開設している投稿サイト the Lancet Student に、
イスラエル医学生がAshley事件を論じる論文を寄せています。

タイトルは「医療の傲慢の極地」なのですが、
学生さんの書いたものだからなのか
たいした意味もない表を大げさにつけている割には
内容がよく分からないものになっているし、

結論と思われるものに至っては、むしろタイトルの逆のような……
なんだか意味不明のヘンな論文。

しかし、こういうのが医学生の意識なのかぁ……?
と思って読むと、いろいろ考えさせられる。

それから巻末の参考文献は参考になりました。
(米国産婦人科学会倫理委員会が2007年に
「障害者を含む女性の不妊術に関する意見書」を出していることを
ここで知ったので、読んでみました。
これについては、近くアップします。)

The Height of Medical Hubris
By Ohad Oren
The Lancet Student


この論文で気になった箇所をいくつか挙げておくと、

成長抑制を「proactiveな手段」だと書いていること。

たぶん「前もって積極的に手を打つ」といったニュアンスと思われ、
例えば胃がんの遺伝子が見つかったから胃を摘出して予防するとか、
もっと極端には胚の段階で遺伝子操作をして病気予防することまで
含まれそうな響きの言葉だな、と。

イタリックで強調してあるので、
Ashleyの親の考えをこのように受けたものとも考えられますが、
それにしても医学生がこういう言葉をさらっと使ってしまうこと自体が、
科学とテクノの簡単解決文化の浸透というか、
6歳の子どもにホルモンを大量投与することを既に肯定している文化が匂うような?


リスクについては「今後の観察研究によって見極めることが必要」

……って、じゃぁ、何例もやれってことですか?
リスクを見極めるためには実験が必要だからって?


「社会の役割」については「我々の社会における障害児の価値について議論が必要」

「社会における障害児の価値」だそうです。
こういうフレーズを躊躇いもなくしゃらり~んと書ける人には
医師になってもらいたくないんだけど……。

ともあれ、その「価値」を見極めて対策を考えるために
彼は「多職種による学際的な議論」が必要だというのですが、
大変気になるのは彼が挙げている分野で、

内分泌、神経、外科、発達、それから倫理学。それだけ。

それを彼は an interdisciplinary group of experts (学際的専門家集団)と呼ぶわけです。
これは学生だから広い世界が見えていないのか、
それとも医学の世界にいる人の視野の狭さというものなのか。

医学の世界の人にとって「専門職」というのは医師だけ……?と
感じる場面は身の回りにも沢山ありますが、

でも、「社会の役割」という以上、それは「医療の役割」よりはるかに広いもののはずですが。


で、彼の結論らしきものは、たぶん
「現実には理想的な社会なんてないんだから
 充分な介護支援が整っていなくて親に過剰な負担がある以上、
 医師はこうした手段を勧めるだろう」というあたりなのかな。

で、本文では「それもやむをえないだろう」というニュアンスで書き、
タイトルでのみ、そういうのを「医療の傲慢の極地」と呼ぶのか??

Lancetがゲイツ財団の資金と繋がっていることと関係、あるかな。まさかね。)

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そういえば、この前、人に教えてもらって
日本の厚労省が出した「安心と希望の医療確保ビジョン」というのをざっと読んでみた時に
「これからは“治す医療”だけじゃなくて“支える医療”もしっかりやるんだ」
みたいなことが強調されていましたが、

くれぐれも医師だけで支えられるとか、支えられるのは医療だけだとか
はたまた医師が他職種を叱咤激励しつつリーダーシップを発揮して主導するんだぞ……
みたいな医学教育はしないでほしいなぁ……と思ったんだった。