佐野洋子「シズコさん」

佐野洋子さんの「シズコさん」は
母親を嫌っていた佐野さんが認知症になった母親の介護を通じて
かつての出来事を追体験し、母親の人生を振り返って
“許し”を体験していく過程が描かれている本なのだけれど、

そこに

自分と母親との関係は異常で、自分だけが母を嫌いなのだと思っていたら、
40歳を過ぎてから、世の中にはそういう女も沢山いるということに気づいた……と書いてあって、

私は逆に家族というのは誰にとっても、
すべからくトラウマの源なんだろうとばかり考えていたので、
ものすごくビックリした。

とても印象的だったのは

フロイトは父と子の関係、母親と息子の関係は研究したが、
母と娘の関係をシカトしたのはフロイトが男だったからだろうか。(P.156)

アダルト・チルドレン」という言葉で括ってしまうことの是非はともかく、
成長過程で親から傷を受けてしまった人の社会適応の難しさ、
そういう人に特有の“生きづらさ”というものは、あると思う。

だから、

親から傷を受けてしまった女性が育児負担や介護負担に直面する時に特有の
介護者としての脆さというものもあるんじゃないのかなぁ……と
私はずっと感じてきたのだけど、
そういう視点からの介護者心理とか介護負担の研究というのも
出てこないものかなぁ……と。

育児負担をきっかけに親との関係の中に潜んでいた問題がぶり返して
育児負担そのものよりも、実はぶり返したその問題の方に苦しんでいるという女性は
自分自身も含めて、
また、それに気づかないまま自分は育児に悩んでいると思っている人も含めて
かなりいるような気がします。


そういうケースで育児支援のサービスを提供したり
子どもに障害がある場合に療育サービスにつなげるだけでは
本当の意味でその親は支援されていないんじゃないかと思うのですが

支援が常に「専門家」の“父親的視点”から考えられるために、
フロイトの母―娘関係のシカトと同じ盲点になっているのでは?

佐野さんの介護体験を読むと、
この人にこれだけのお金がなかったら一体どういうことになっていたのだろう……と
考えざるを得なかった。

(佐野さんは介護が本当に大変になる前に母親を高級老人ホームに入れています。)


         ―――――――――

アルツハイマー病になった佐野さんの母親は、
見舞いに来る家族がみんなベンツに乗ってくるような超高級有料老人ホームで
物盗られ幻想で騒ぐこともなく、
丸めた新聞紙で他の入所者の頭を叩き始める行動が現われた辺りから
だんだんと目から生気が失われていって、ベッドで寝ていることが増えていきます。

いつ行っても母親はベッドでうとうととしているので、
佐野さんはそのベッドにもぐりこんで、
頓珍漢に思えたり時に妙に意味深に聞こえたりするやり取りを交わしながら、
自分と母親との関係を追体験し、振り返る
穏やかな時間を過ごすことができた──。

もちろんアルツハイマー病の症状も転帰もさまざまでしょうが、
それにしても、ちょっと不思議だった。

それで思い出すのが、こちらの話。
ついこの前、知人の高齢女性が胃カメラを飲んだ時に
「どうやって飲んだか覚えていない。うっかり眠ってしまったみたい」というので、
肩の注射はたぶん胃の動きを抑えるものだとして
それ以外に腕に静脈注射をされなかったか聞いてみたのだけど
ひたすら主治医を信頼しているその人ははっきりと答えようとはせず、
しかし、いくら暢気な人物でも胃カメラを飲みこむ瞬間に眠っていられるわけもなく、
年寄りと見てインフォームドコンセントもなしに安定剤を使ったな、と──。


まさか、超高級老人ホームの高額な利用料の中には
入所する人が家族にとって悲惨な存在にならないように“配慮してあげる”ことも
暗黙のうちに(または家族も知らないうちに)含まれている……なんてことは──

──私の妄想ですよね。きっと。