小児の延命治療停止(日本)

国立生育医療センターで過去5年間に
間もなく心肺停止が予測された小児30人について
家族の同意をとった上で、人工呼吸器をはずすなど延命治療を停止。

その他にも50人で
投薬などの積極的な治療を差し控えた。
いずれも臨床的にみて死期が迫った段階で、病院側と親の相談によるもの。

小児の終末期を巡っては親に判断がゆだねられるケースが多いこと、
基準作りの議論すら始まっていないことなどが課題。

センターとしては「議論が深まるきっかけに」と。


実は
「まもなく心肺停止が予測される状態」で呼吸器をはずすということの意味というのが
私にはよく分からないのです。

それほど本人に耐えがたい苦痛があって、
親が見ていられないほど辛いから、早く楽にしてやりたいということなのでしょうか。

それなら、この記事では
なぜ「間もなく心肺停止が予測される状態」としか説明されていなくて、
本人の苦痛についての言及がないのだろう。

「心肺停止が予測される」というのは
「呼吸器をつけたままにしていても心肺停止が差し迫っている」ということと私は受け取ったので、

それなら、ごく単純に
「そういう状態なら呼吸器をつけているほうが本人はラクなのでは?」
という疑問を抱いてしまうのですが……。

【追記】
その後、上記記事を読み返して目に付いたのですが、
「呼吸器を外すなど」と「など」がついていました。
Terry Shiavo事件のように、栄養と水分をやめたケースもあったということなのでしょうか。


もうひとつ気になるのは、
積極的な治療を差し控えた50人が
具体的にはどういう状態の子どもたちだったのか、という点。

「臨床的にみて死期が迫った段階」というのは、
「積極的に治療しても効果はまったく見込めず、死期が迫っていた」ということでしょうか。
表現が抽象的すぎて、ほとんど何も言っていないに等しいような……。

特に「臨床的にみて」という文言は
確か脳死議論の際にも「臨床的に見て脳死」などと
現場医師の専門性を聖域化する意図を持って使われたような記憶があったりして。

日本では事情が違うのかもしれませんが、
英米障害新生児の安楽死が提唱されたり
米国・カナダで「無益な治療」による病院側の治療中止決定権が法制化されたり
……といった動きを念頭にこのニュースを読むと、やはり気になるのは、

医師にも親にも様々な価値観の人がいるのだから
医師と親との相談だけで決められていくということには、
その組み合わせによっては「何でもアリ」の危険性があるのでは、ということ。

【追記】
以前、自分自身のメモとしてアップしていた読売新聞の記事を。