周産期に障害・病気情報提供を保障 法案にW・ Smith賛同

4月1日のエントリーで紹介しましたが、

周産期に子どもの病気や障害が分かった場合に
その病気や障害についての詳細な情報が母親に提供されるよう求める法案が
米国議会の関連委員会を通過しました。

それについて、保守系の論客Wesley Smith が賛意を表明しています。

Politically Correct Eugenics: Brownback and Kennedy do the right thing
By Wesley Smith
The Weekly Standard, March 31, 2008

最初にSmithが指摘するのは
一方で障害者への差別をなくす努力をしつつ、
その反面でダウン症をはじめとする障害や病気を持った子どもの排除に忙しい
米国社会の障害者に対するダブルスタンダードと、

現在ダウン症だと分かると中絶されている9割のケースでは
医師らによる否定的な情報提供と中絶への誘導が行われているのではないか
という疑義。

実際にダウン症の子どもを育てている親が
子どもとの暮らしの中から語るポジティブな声がそうした情報の中に
しっかり含まれていれば9割という数値は変わるのではないか、と。

ちなみに、
この法案を提出したEdward Kennedy 上院議員は強固な中絶権支持者で、
共同提出者であるSam Brownback 上院議員は熱心なプロライフであること。

中絶については立場が正反対の2人が
共にこの法案のスポンサーとしてバランスの取れた情報提供の必要を訴えているというのは
なかなか悪くない話ですね。

中絶の是非の問題は、その先に行くと選別的中絶の問題があり、
選別的中絶の問題はその先へ行くと無益な治療法論や、
さらにネオ優生思想の問題へと繋がってもいて、

もちろん、全部をひっくるめて論じるような大雑把な議論はできないのだけれど、
繋がっているのだということは頭においたうえで、
一つ一つの問題を丁寧に考えていくことが大事なんじゃないでしょうか。

一番怖いと感じるのは、
一つ一つの議論での勢いに任せた乱暴な議論によって
充分な検討がなされないままに、
それぞれが影響しあって、なし崩しに
「どうせ障害児だから」という社会の空気がいつのまにか作られていくということ。

(Ashley事件で私が何よりも強烈に肌に感じたのは
 この「どうせ重症児だから」という空気であり、
 多くの人の発言から聞こえてくる言外の「どうせ」という響きでした。)

そういう動きが現に懸念されるからこそ、
ハイテクで人間の病気はほぼ克服できて寿命が飛躍的に延びるとか
難病が間もなく克服されるといった話の華やかさはないけれど、
子どもの障害や病気を知らされた親にネガだけでなくポジも含めた充分な情報提供を行うという、
一見地味だけれど本当はとても大切なことを1つずつしっかり抑えていくという努力が
やはり忘れられてはならないのだと思う。