「死体は見世物か 『人体の不思議展』をめぐって」を読んだ
この問題は当ブログでも08年から
折に触れて以下のエントリーで取り上げてきたもの。
折に触れて以下のエントリーで取り上げてきたもの。
死体の展覧会(2008/2/22)
「人体の不思議展」中止要望書への緊急署名(2008/5/5)
2011年5月30日の補遺(京都府警が立件見送り)
2011年2月26日の補遺(京都地裁、訴えを棄却)
「人体の不思議展」中止要望書への緊急署名(2008/5/5)
2011年5月30日の補遺(京都府警が立件見送り)
2011年2月26日の補遺(京都地裁、訴えを棄却)
私も、11年5月の補遺にこの論文をリンクした際に読んでいたので、
この本が出たことを知った時に、お名前には記憶があった。
この本が出たことを知った時に、お名前には記憶があった。
当ブログの問題意識も同じような方向だったから、
京都での訴訟の結末に釈然としないものを感じて以来、
いつか誰かがこういう本を書いてくれるのを待っていたけれど、
京都での訴訟の結末に釈然としないものを感じて以来、
いつか誰かがこういう本を書いてくれるのを待っていたけれど、
これは実に骨太の告発の書です。
人は、強い思いを抱えて
どうしてもやらないでいられないことと取り組んでいると、
会うべき人と巡り会うんだなぁ、と、ちょっと感動してしまった。
どうしてもやらないでいられないことと取り組んでいると、
会うべき人と巡り会うんだなぁ、と、ちょっと感動してしまった。
そして、医療の世界の中にも、
科学とテクノの簡単解決文化とその利権構造が突き動かしていく世の中に疑問を抱き、
様々な形で異議申し立てを続け闘っている方々があるのだということ、
科学とテクノの簡単解決文化とその利権構造が突き動かしていく世の中に疑問を抱き、
様々な形で異議申し立てを続け闘っている方々があるのだということ、
そして、そういう粘り強い闘いの成果として、
この本が生まれたということが、
何よりとてもすばらしいと思う。
この本が生まれたということが、
何よりとてもすばらしいと思う。
なにしろ、問題のプラスティネーション技術を開発し、
その後BODY WORLD展でショーバイに精を出しているのは
ドイツのグンター・フォン・ハーゲンスだけれど、
その後BODY WORLD展でショーバイに精を出しているのは
ドイツのグンター・フォン・ハーゲンスだけれど、
その標本を展示公開した世界で最初の国は、実は日本だったとは……。
1995年、日本解剖学会がハーゲンス作成の標本を借りてきて
一般市民を対象に展示を行った「人体の世界」展。
一般市民を対象に展示を行った「人体の世界」展。
言いだしっぺは、あの養老猛司先生。
そしてこの時に既にプラ標本は様々なポーズを取らされたり、
胎児や妊婦の身体がスライスされたりしている。
胎児や妊婦の身体がスライスされたりしている。
興味深いのは、この2年後の97年に臓器移植法が成立している当時の時代背景。
その後、世界中で最も誠実にこの問題における遺体の尊厳について正面から検討し、
最高裁が最終的に違法と判断したフランスでの議論で、主催者側が
臓器提供の推進のためにも死体に対するタブーを打ち破るべきだと
主張した(p.146)と書かれているのも、興味深い話だ。
最高裁が最終的に違法と判断したフランスでの議論で、主催者側が
臓器提供の推進のためにも死体に対するタブーを打ち破るべきだと
主張した(p.146)と書かれているのも、興味深い話だ。
99年にハーゲンスと金銭問題でトラブルとなると、
主催者らが目をつけたのが中国の、似て非なる(ならぬのかも?)技術でプラストミック標本。
主催者らが目をつけたのが中国の、似て非なる(ならぬのかも?)技術でプラストミック標本。
その買い付けにも医師がかかわっていたし、
各地の医師会が共催したり広告塔役や各会場での解説役など、
直接的・積極的に協力し、巡回展示を支えた医師らが少なくない。
各地の医師会が共催したり広告塔役や各会場での解説役など、
直接的・積極的に協力し、巡回展示を支えた医師らが少なくない。
監修委員会には、日本の医学、歯学、看護分野の重鎮がずらりと並んで
死体の展覧会に箔をつけた。
死体の展覧会に箔をつけた。
つまり日本の医学会は、解剖学会の展示から始まり、その後、商業展示として
どんどん恥知らずな“興行”(著者の表現ではなくspitzibaraの印象)と化していく間、
「医学会を挙げて応援していたと言っても差支えない」(p.101)。
どんどん恥知らずな“興行”(著者の表現ではなくspitzibaraの印象)と化していく間、
「医学会を挙げて応援していたと言っても差支えない」(p.101)。
その後、全国的な批判の広がりを受けて、
こうした団体は後援をやめるのだけれど、そこには一切の説明も謝罪もない。
こうした団体は後援をやめるのだけれど、そこには一切の説明も謝罪もない。
(ここで私の頭に浮かんだのは731部隊に所属していた人たちが
終戦後に日本の医療界の重鎮に居座ったという話だった。
この本の中でナチスはちょっと言及されているのだけど
731部隊についてはまったく言及がないのが私にはちょっと不思議)
終戦後に日本の医療界の重鎮に居座ったという話だった。
この本の中でナチスはちょっと言及されているのだけど
731部隊についてはまったく言及がないのが私にはちょっと不思議)
そこでも医学会だけでなく、行政もマスコミも同じ穴の狢で……。
これらはアシュリー事件の議論や背景の構図にもそのまま通じている。
どの問題でも、実はさほど「巧妙に」言い抜けてなどいないのに通ってしまうのは、
彼ら権力と利権の側が、一般の我々のゲスな欲望を食い物にすることで、
我々一般人の方も自分の中にある欲望をどんどん肥大化させられて抑制が利かなくなり、
倫理問題や法律問題をなし崩しに不問にすることに
一緒に加担していくからではないんだろうか。
彼ら権力と利権の側が、一般の我々のゲスな欲望を食い物にすることで、
我々一般人の方も自分の中にある欲望をどんどん肥大化させられて抑制が利かなくなり、
倫理問題や法律問題をなし崩しに不問にすることに
一緒に加担していくからではないんだろうか。
「どうせ」と思っているゲスな自分をみんなで一緒になって解放すれば
一般人はそれぞれに自分よりも弱い存在を踏みつけて
自分だけが美味しい思いをできる(したと錯覚させられる)し
一般人がそっちに雪崩を打ってくれれば、それでがっぽりと稼ぎつつ
メディカル・コントロールをさらに根付かせて
グローバル支配を確実にしてゆける人たちがいる。
一般人はそれぞれに自分よりも弱い存在を踏みつけて
自分だけが美味しい思いをできる(したと錯覚させられる)し
一般人がそっちに雪崩を打ってくれれば、それでがっぽりと稼ぎつつ
メディカル・コントロールをさらに根付かせて
グローバル支配を確実にしてゆける人たちがいる。
この死体の展覧会をめぐって
米国があくまでも個人の選択権重視に動き、
フランスが死体の尊厳にこだわり違法とみなしたことは象徴的でもある。
米国があくまでも個人の選択権重視に動き、
フランスが死体の尊厳にこだわり違法とみなしたことは象徴的でもある。
「レッドマーケット」とは、スコット・カーニーの命名で
人骨、臓器、卵子、血液、代理母、毛髪、養子縁組などを扱う市場のことで、
カーニーは「レッドマーケットには、人体が必ず
社会の下の階層から上の階層へと動いていく、という
不愉快な社会的側面がある」と書いているという。
人骨、臓器、卵子、血液、代理母、毛髪、養子縁組などを扱う市場のことで、
カーニーは「レッドマーケットには、人体が必ず
社会の下の階層から上の階層へと動いていく、という
不愉快な社会的側面がある」と書いているという。
死体の尊厳の問題は、
レッドマーケットで搾取される社会的弱者の尊厳にも繋がっているし、
レッドマーケットで搾取される社会的弱者の尊厳にも繋がっているし、
つまり今の世界で起こっていることは、みんな一つのこと。
この頃は、もう
ポイント・オブ・ノー・リターンはとうに過ぎてちゃったよね……という気がしている。
ポイント・オブ・ノー・リターンはとうに過ぎてちゃったよね……という気がしている。