「平穏死」提言への疑問 1

1月19日に
ケベックの小児外科医「これほどの医療崩壊を放置してPAS合法化なんて、とんでもない」のエントリーの
コメント欄で、私は次のように書いた。

私は日本の尊厳死とか平穏死を勧める医師が書いている本を読むたびに、この人たちが言っているのは実は「今の医療のあり方はおかしい」ということに過ぎないんじゃないか、という気がしてならないんですよ。それなら、おかしい医療のあり方の方を正せばいいのに、当の医師が患者に向かって「医師に任せておいたらロクなことにならないから、自分で医療を放棄して死を望め」と説いているのが、現在の「尊厳死」「平穏死」推進論のような。「医療のあり方がおかしい」という問題がどうして「医療のあり方を正せ」という話にならず「患者の死に対する姿勢がおかしいから正せ」という話に摩り替るのか……と。

英語圏の議論でも、これまでの反対論はせいぜい「医療費削減のためにPASや尊厳死が導入されようとしている」どまりだったという印象があるんですけど、実は医療崩壊とその崩壊が医療の文化を劣化させている問題なんだと正面から指摘してくれた、という点で、この記事を「一味違う」と読みました。「だから医療を信頼せず、自ら尊厳死を選べ」と説く姿勢って、さらなる劣化の推進だなぁ、と思わせてくれたという意味でも。


『シリーズ生命倫理学 第4巻 終末期医療』を読み、
6つのシリーズ・エントリーを書き終えて、思うのは「やっぱりこれじゃない?」ということ。

この『第4巻 終末期医療』全体としての大きな主張について
私自身がずっと「尊厳死」「平穏死」推進論に感じてきた上記のような違和感を踏まえて
私自身の勝手な捉え直しをさせてもらうと、以下のようになる。

確かに「医療のあり方はおかしい」が、そのおかしさとは
尊厳死や平穏死を推奨する医師らが問題にしているような現象レベルでの
「終末期医療」限定のおかしさではなく、もっと深刻で根深く、
医療そのものの本質に関わる「医療の文化」の問題なのである。

その本質的な医療の文化の「おかしさ」からは、
「今の医療のあり方はおかしい」と「平穏死」を説く医師ら自らも
無縁であるわけでは決してなく、彼らもその限界の内に取り込まれている。

そこに気付き、その文化を本質的に修正しない限り、
尊厳死」も「平穏死」も、医療の価値意識という限界の中から、
その限界に無自覚なまま描きだされるテクニカルな「よき死」への誘導に過ぎない。


そこで、上記の丸善のシリーズ第4巻を読んだ後で、
本棚から引っ張り出してきた以下の2冊を、
この疑問に沿って、再読してみた。



まず2冊の中から
私には「医療のあり方や医師がおかしい」との批判と思える個所を、
いくつか引っ張ってみる。(Iが石飛本、Nが長尾本)

① 延命至上主義・治療至上主義への批判

……どんな形であれ命は延ばさなければならないという「延命至上主義」が、医療の現場にははびこっています。
(I, p.26)

 もう医療では助けられない、しかしそれを本人には伝えない、本人は自分の一生なのにどうなるのか知らせてもらえない、そうして役に立たない医療行為が続けられて、本人にはそれが役に立つかのように説明されて、期待だけ持たされて、事態は違う方に流れて、不信感に苛まれ、苦しんで最後を迎える。
(I, p.91)

これが、専門分化が進んだ医療の現場の実情です。…(略)…まるでベルトコンベアに載せられた「もの」の用に押し出されていく。その患者さんが今後どうなっていくかということはまったく置き去りにされているのです。
(I, p.33)

……患者さんが死ぬまで抗がん剤治療を続ける気だったのか――病院の主治医に強い疑問を持ちました。
(N, p.25)

……人生の最期を想定していないがん医療の最前線に、疑問を感じることが、実に多いのです。
(N, p.27)

……しかし、残念ながら現状では、病院での「平穏死」は難しいと感じます。なぜなら多くの病院医師にとって「延命」は至上命題だからです。…(中略)…こうした医師の性は、医学教育を見直さない限り、代わることはないでしょう。そこに残されたのは、簡単には平穏死できないという「現実」だけです。
(N, p.30)

……「人は死ぬ時、なぜここまで苦しまなあかんのやろ」という疑問を持ち、それは2年後には「医療者が余計なことをするから苦しむんじゃないか」という考えに変わりました。
(N, p.36)

……普段、死と接することの老い医師や看護師でさえ、確固たる死生観を持っているとは言えません。何せ医療界では死は敗北なのです。しかし本当に死が敗北なら、医療の成功率は永遠に0%です。勤務医時代、病院内で死について語る機会は一切ありませんでした。現在の日本の医学部でも、死生学の授業はほとんど行われていないのが現状です。
(N, p.59)


とても興味深いと思うのは、
石飛医師も長尾医師も医学教育に問題があるとの認識があるにもかかわらず、
「医学教育を変えなければならない」という主張はどこにも見当たらないこと。

次のエントリーに続きます)