「自殺幇助の選択肢があることが一種の緩和ケア」とC&C

米国WA州のBellinghamという地域で24日、
尊厳死法について議論するランチョン討議が開かれ、

オプト・アウトしている病院の幹部、
Whatcom郡医師会の会長
それからC&Cの理事が
シンポを行った模様。

その中でC&Cの Arline Hickley氏が
「非常に難しい問題です。
選択肢があることそのものが一種の緩和ケアなのです」と。



しかし、この見解は、それ自体が、
自殺幇助希望者の動機が、ターミナルな病状の苦痛ではなく
Oregon州の調査から出てきているように、先行きの苦痛に対する先取り不安であることを認めており、

それが言えるのであれば、
「十分な緩和ケアが保障されることによって、自殺幇助は無用」という論理が
同時に、というよりも、それよりも先に成立するはずでは?


他に、この記事で「うへぇ。これぞアメリカ的形式主義」と度肝を抜かれたのは

尊厳死法でオプトアウトしている病院の医師は
もちろん患者に自殺目的の致死薬を処方することはしないし、
他所で処方された患者にも”病院の敷地内でその薬を飲むことは認めない”けれども、
「飲む前と飲んだ後のケアは、うちの病院でもやります」と。

これは形式主義じゃなくて、人道主義──?


それから、医師会の会長も
害を与えないというヒポクラテスの誓いを立てたから、
医師会としては毒物を処方する医師が誰かという情報を患者に教えることはできないが、
オプトアウトした医師の情報は医師会として持っているから(教える)、と。



このシンポについては、後で見つけた、こちらのSPiの記事のほうが詳細でした。