森岡正博氏の「臓器移植法A案可決 先進国に見る荒涼」
昨日、参議院で臓器移植法改正審議が始まったというニュースの中で
A案提出者の方が「各国と同じように移植ができるように」といわれるのを聞いて
前と同じように「じゃぁ、米国の医療で起こっている恐ろしい諸々を
まず、きちんと報告したらどうなんですか」とムカついていたところ、
A案提出者の方が「各国と同じように移植ができるように」といわれるのを聞いて
前と同じように「じゃぁ、米国の医療で起こっている恐ろしい諸々を
まず、きちんと報告したらどうなんですか」とムカついていたところ、
米国で、救急搬送されてきた障害者に救命よりも臓器摘出を優先させたNavarro事件が起こったり
停止から75秒しか待たずに心臓を摘出する子ども病院があったり、
カナダで、重症障害新生児から臓器提供を前提に呼吸器が外されたKaylee事件が起こったり、
停止から75秒しか待たずに心臓を摘出する子ども病院があったり、
カナダで、重症障害新生児から臓器提供を前提に呼吸器が外されたKaylee事件が起こったり、
というニュースに触れるたびに、脳死者からだけではなく、
臓器提供を前提に心臓死を起こさせることが事実上認められているとしか思えない状況に、
その法的根拠がなんなのか、ということに疑問を感じてきましたが、
臓器提供を前提に心臓死を起こさせることが事実上認められているとしか思えない状況に、
その法的根拠がなんなのか、ということに疑問を感じてきましたが、
報告書は脳死概念が揺らいでいることを認めたうえで人工的心停止後移植に注目している、と。
これは、まさに
当ブログでも何度か取り上げてきたTroug、Veatch、Fostらの
「どうせ脳死者は死んでいないことは皆わかっているんだから、いっそ
本人さえ事前にその意思表示をしてさえいれば
生きている人からでも臓器を摘出していいことにしよう」という主張。
(詳細は文末にリンク)
当ブログでも何度か取り上げてきたTroug、Veatch、Fostらの
「どうせ脳死者は死んでいないことは皆わかっているんだから、いっそ
本人さえ事前にその意思表示をしてさえいれば
生きている人からでも臓器を摘出していいことにしよう」という主張。
(詳細は文末にリンク)
森岡氏は
「本人あるいは家族の希望に基づいて」人工呼吸器を取り外し、
心停止から2~5分待った上で待機していた移植チームが臓器を摘出する、
この方法が92年に確立して「ピッツバーグ方式」と呼ばれており、
2007年に793例も実施されたと書いている。
「本人あるいは家族の希望に基づいて」人工呼吸器を取り外し、
心停止から2~5分待った上で待機していた移植チームが臓器を摘出する、
この方法が92年に確立して「ピッツバーグ方式」と呼ばれており、
2007年に793例も実施されたと書いている。
それはもしかしたら医療についての判断は州が行うことになっていることと
関係しているのかもしれないのだけど、
関係しているのかもしれないのだけど、
なんとなく米国の医療というのは
法規制よりも既成事実が先行しているような気がしてならない。
法規制よりも既成事実が先行しているような気がしてならない。
(で、病院内倫理委がその正当化の装置としての役割を担っていくような嫌な予感がする)
だってね、大統領生命倫理評議会の答申では
「脳に重大な損傷があるが、まだ若干の脳機能が残っている者」の人工的心臓停止後摘出が前提だし
例えば去年3月にRobert VeatchがBoston Globeで言っていたのも
「永続的植物状態になった場合には死亡宣告してもらうか
脳の機能を部分的に残したまま意識がない状態を延々と続けるかを選べるようにして、
死亡宣告で臓器提供を可能としよう」という話だというのに、
「脳に重大な損傷があるが、まだ若干の脳機能が残っている者」の人工的心臓停止後摘出が前提だし
例えば去年3月にRobert VeatchがBoston Globeで言っていたのも
「永続的植物状態になった場合には死亡宣告してもらうか
脳の機能を部分的に残したまま意識がない状態を延々と続けるかを選べるようにして、
死亡宣告で臓器提供を可能としよう」という話だというのに、
現実に医療現場で早々と起こっているのは
NavarroやKayleeのような重症障害児・者を「臓器提供のために死なせる」という行為。
(Kaylee事件はカナダですが、こういうケースで家族と病院側に対立がなければ
事例そのものが表に出ないことを考えると、報道は氷山の一角だと思う)
NavarroやKayleeのような重症障害児・者を「臓器提供のために死なせる」という行為。
(Kaylee事件はカナダですが、こういうケースで家族と病院側に対立がなければ
事例そのものが表に出ないことを考えると、報道は氷山の一角だと思う)
議論されている対象者像と、実際に臓器目的で死なされている人の障害像は
実は大きくズレて、現実の対象者の線引きがずいぶん前倒しされている。
実は大きくズレて、現実の対象者の線引きがずいぶん前倒しされている。
ちょうど英米でターミナルで耐えがたい痛みがある人の自殺幇助合法化が議論される一方で
実際には重い身体障害を負った23歳の若者の自殺幇助や
視力低下を苦にする高齢者の自殺幇助まで行われていて
それを許容する議論と空気がじわじわと広がっているのと同じように。
実際には重い身体障害を負った23歳の若者の自殺幇助や
視力低下を苦にする高齢者の自殺幇助まで行われていて
それを許容する議論と空気がじわじわと広がっているのと同じように。
しかも米国では、そこに「無益な治療法」が噛んでくるのも怖い。
現在、少なくとも3州で成立している「無益な治療法」が広がっていけば
治療中止の決定権は病院にあるのだから
VeatchやFostが言っている事前の本人の意思表示など
あってもなくても同じことになってしまう。
治療中止の決定権は病院にあるのだから
VeatchやFostが言っている事前の本人の意思表示など
あってもなくても同じことになってしまう。
米国の医療では、こういう諸々が起こっていて、
臓器移植でも自殺幇助合法化でも無益な治療でも生殖補助医療でも「すべり坂」だらけ。
臓器移植でも自殺幇助合法化でも無益な治療でも生殖補助医療でも「すべり坂」だらけ。
A案提出者のいう「各国と同じように臓器移植ができるように」が
もしも米国の医療をスタンダードにしているのであれば、
こういう現状をきちんと明らかにすることが先ではないのか、と、やっぱり思う。
もしも米国の医療をスタンダードにしているのであれば、
こういう現状をきちんと明らかにすることが先ではないのか、と、やっぱり思う。
【死亡提供者ルール廃止の主張に関連するエントリー】
脳死の次は植物状態死?(2007/9/10)
臓器移植で「死亡提供者ルール」廃止せよと(2008/3/11)
「脳死」概念は医学的には誤りだとNorman Fost(2009/6/8)
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