Diekema医師のプレゼンについて

7月のシアトル子ども病院生命倫理カンファレンス2日目最後のプレゼンは、
Ashley論文の執筆者の1人であるDiekema医師。

演題は「子どもの医療を巡る争議において(立場や意見の)相違を理解すること」
Understanding Differences in Conflicts Surrounding the Medical Care of Children

このカンファには、まだまだ興味深いプレゼンがいくつも残っているのですが、
読むことに比べて聞くことはどうしても荷が重いもので、
1日目の大半を聞いたところで挫折したままになっており、
(既に聴いたプレゼンについては「シアトル子ども病院生命倫理カンファレンス」の書庫に。)

しかし1月のDiekema講演も近づいてきたので、
このプレゼンだけはそれまでに聴いておこうと
まずは、ざっと通しで聴いてみました。

彼がこのプレゼンで取り上げているのは
当たり前のことながら、
親の方が過激な医療を求めて医療サイドがひるんだAshleyのレア・ケースではなく、
医療サイドがやろうとする医療行為に対して親が同意せずに争議となる、ありがちな場面で
医療職として何を念頭に親に対処すべきかという話。
まぁ、極めて常識的な内容なのですね。

彼は彼なりに世の中の子どもたちを守ろうとしていて、
子どもたちの医療を危うくする政府の施策に怒りを抱いてもいるのですね。

“Ashley療法”論争では強引な詭弁でひたすら親を守った彼が
実はこういう普通の感覚を持った医師だったというのは、ちょっと意外。

このプレゼンをざっと聴いて何よりも印象的なのは、
Diekema医師の”普通さ”なのです。

「ああ、本当はこういう人だったんだ……」と、
Ashley事件でメディアに露出した人とは別人のように思える。


何よりも強く感じたのは、しゃべり方の違い。

このプレゼンでのDiekema医師の話し方は、いわばゴツゴツしている。
話術への自信と人を食ったようなジョークは変わらないのですが、
Ashley事件で表に出てきた時のようにヌルヌルもツルツルもしていない。
特に早口でもなければ、回りくどい言い方もさほど目に付かない。

ああ、この人はきっと、
攻撃的になったり(ということは防衛的になっているということですね)
言い逃れやゴマカシ・詭弁を弄そうとする際に早口になり、
抑揚の乏しい単調なしゃべり方になるのだな、
それがヌルヌル、ツルツルした印象を与えていたのだな……と。

        ――――

もっとも、
Ashley事件で彼が言っていたことを考えると
「ったく、よく言うよ」
「じゃぁ、どうしてAshleyにあんなことができたんだよ……?」と
つぶやいてしまうような発言もプレゼンには多々あったので、

それについては、
もう少し細部まできちんと聴いてから改めてまとめたいと思います。