もう1つDiekema講演関連記事

15日のGrand Rapids Pressに続き、
今度はKalamazoo Gazett紙が19日のDiekema講演に向けて
Ashley事件の概要をまとめ、
EメールでのDiekema医師とのQ&Aを紹介しています。

What is ethically OK in treating a disabled child? Doctor in controversial case to speak Friday
障害児への治療において倫理的に許されるのは? 問題になったケースの医師金曜日に講演
Kalamazoo Gazett January 15, 2008/

全体に、Grand Rapids Pressに擁護色が強いのに対して、
こちらは中立、客観的なスタンスで書かれています。
気になることを含めポイントとDiekema発言を以下に。

①事件の概要で気になるのは、
「重症児を在宅でケアしたいと思う親は多くても、
 子どもの成長と共に困難になる。
その問題への解決として試みられたのがAshleyへの医療処置」
との捉えかた。

論争以降、他の重症児の親たちとのやりとりから
それもメリットの1つと考えるようになったと親のブログに追記はされていますが
1月の立ち上げ時点では親はむしろ
「在宅介護の時期を延ばすことも介護負担の軽減も目的ではない」と
明確に否定していました。

それなのに
医師らの論文が脱施設を前面に打ち出したからでしょうか、
それとも単に、この方が分かりやすいからでしょうか。
いずれにせよ目的が摩り替わってしまっては、
事件の本質が見誤られてしまいます。

②子宮摘出の違法性を子ども病院自体が認めたというのに、
そのことに触れられていない。
(これは他のメディアも同じです。)

③Diekema医師は「倫理委はAshleyへの利益の可能性と、害の可能性を検討した」と
同紙へのメールに書きながら、
両親が挙げた利点を4点挙げるのみで、
どのような害の可能性が検討されたかについては一切触れていない。

「親へのメリットは一切考慮していない、
 倫理委が考えたのはあくまで本人のメリットのみ」
と強調はしていますが、議論の中身は相変わらず出てこず。

④地元で拾ったこの事件への反応が引用されており、
 これまでに出たものとあまり変わりませんが、

人権侵害だとの障害者団体の見解のほかに、
ここでは珍しく教育行政の声が拾われているのが出色。

Kalamazoo地域の障害児教育の責任部局からは
「成長抑制に可能性を見出す親も多いかもしれないが、
子どもが自分で意思表示できない以上、彼らの権利には特に配慮しなければ」
「Ashleyのようなケースの議論では福祉サービスが充分かどうかの検討が不可欠。
 支援さえ充分にあれば親も子を小さいままにする必要がないのだから」


また地域のアドボケイトからは
「こういう決定が行われるプロセスをしっかり見て、
 地域全体の社会倫理が考慮に入っているかどうかを考えなければ」

生命倫理だの医療倫理だのの議論が
一般の社会倫理と乖離している可能性を指摘しているのは面白いですね。)

⑤この記事で初めて知ったのですが、
 Diekema医師は出身大学Calvin大の同窓会雑誌Spark2007冬号に
Q&A形式でこの事件について寄稿しているらしく、
その中で以下のように書いているとのこと。

これまでの議論においても
都合が悪いこと(倫理委の議論の中身)に話が近づくと
妙に回りくどい言い回しを多用し
いかにも「らしい」言葉を並べながら実は何も言わないという
Diekema医師の詭弁の特徴がここでもはっきり出ています。

The reality is that there were very few if any people on our ethics committee who felt like they knew for certain what to do for this little girl, but we did the best we could.

We tried to do our best to determine what really was going to make her life as good as possible and remain faithful to the notion of treating others well.

実際はどうだったかというと、我々倫理委員会の中で、この小さな少女のためにどうしてあげるのがいいのか、はっきりこうだと確信をもって言える人はほとんどいませんでした。しかし、我々はできる限りのベストを尽くしたのです。

どうしたらこの子の生活ができるだけ良いものにしてあげられるかを見極めようと、また同時に他者には思いやりをもって接っすべしという教えにも忠実であろうと、我々はベストを尽くそうとしたのです。

誰も白黒つけられなかったのに、
「しかしベストを尽くした」ら何故OKということになるのか全く不明。
つまり彼はここでも何も説明していないのですね。

さらに彼はキリスト教信仰を持つ生命倫理学者として
「神と共に謙虚に歩むwalk humbly with God」べきだと考えており、

Its important for us to look at the counter-arguments with an open mind because there is always going to be another Ashley, and next time we will have to try to do even better.

反論に対しても心を閉ざさずに眺めていくことが大切です。だって、今後もAshleyは出てきますからね。次の時には今回よりも良い対応をしなければならないわけですから。

宗教色が強いのは大学の性格に配慮したものでしょうが、
つまり、「この先もまだやるぞ」と言っているわけですね。
このような言い方をすることで彼は
既に既成事実化されたと勝手に認証したいのでしょうか。

しかし、
病院自身が記者会見まで開いて違法性を認め、
今後5年間は障害者の人権監視団体DRWへの報告義務を負っているはずの、
しかも直接担当した医師が自殺までしている“Ashley療法”について、
どうしてこんなに軽々に語ることができるのか。

「神と共に謙虚に歩む」だなどと……。

調子に乗ってゴーマンかましていると、そのうち天罰が下りますよ。