第9章 注

1)Involuntary sterilization of persons with mental retardation: an ethical analysis, Douglas S. Diekema, Ment Retard Dev Disabil Res Rev. 2003; 9 (1): 21-6 (ISSN: 1080-4013)

2)この点でディクマの発言はぶれており、「倫理委はアシュリーの利益のみを検討した」と発言することもあり、「介護者の利益は本人の利益と分かちがたい」と主張することもある。

3)一体どういうつもりなのか、意図が理解できにくいのだが、ディクマは2006年にガンサーと共著で発表した成長抑制論文の脚注にも参考文献にも、2003年のこの論文を挙げている。

4)
http://hwlebsworth.ensoconsultancy.com.au/health_sept09/growth-attenuation-therapy.html
(Growth attenuation therapy for disabled children)
http://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara/55859518.html
(成長抑制に関する法的分析、オーストラリアの法律事務所から)

5)もっとも、2007年の7月、シアトルこども病院トルーマン・カッツ生命倫理センターが行った小児科生命倫理カンファレンスの「子どもの医療を巡る争議において相違を理解すること」と題した講演で、ディクマは「最善の利益」検討を否定している。ここでの「相違」とは、親と医師との間の見解の相違の意。この講演でディクマは「最善の利益」は医療判断の基準としてベストではない、と主張。社会そのものが子どもの最善の利益を無視して動き、代償だけを子どもに支払わせているというのに、その社会を変えることをせずに子どもの最善の利益を云々するのは「偽善めいている」と語り、医療における意思決定では、「最善の利益」よりも、子どもに及ぼす害をいかに避けるかを優先する「害原則」を用いるべきである、と説いた。彼は害原則のスタンダードを6点挙げているが、その最後は「親の望む医療が、子どもにも周囲にも大した害がなく、未検証であってもメリットの可能性があるなら、親の希望通りにしてあげてもよいのではないか」というものだった。ただし、とディクマはそこには条件をつけた。「ただし、あくまでもスタンダードな医療の範囲でのみ」。2003年の論文と並び、この点でも、アシュリー事件での彼の主張は、倫理学者としての彼の本来のスタンスや主張とかけ離れていることがわかる。
http://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara/29223291.html
(「最善の利益」否定するDiekema医師(前))
http://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara/29223714.html
(「最善の利益」否定するDiekema医師(後))

6)Growth Attenuation, Parental Choice, And the Rights of Disabled Children: Lessons From the Ashley X Case
Alicia R. Quellette, J.D.
Houston Journal of Health Law & Policy, ISSN 1534-7907
http://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara/58157901.html
(「倫理委の検討は欠陥」とOuellette論文 1)

ここから4本のシリーズ・エントリーになります。
なお、エントリー中、 Quellette 表記は Ouellette の間違いが未訂正になっているものです。

7)
Agency, duties and the “Ashley treatment”
N. Tan, I. Brassington,
J. Med. Ethics 2009;35:658-661
http://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara/57587523.html
(「医師の道徳的な義務とは自身に対して負うもの」と“Ashley療法”の線引きを突き崩すTan論文)