今なお聞こえる優生思想のこだま

2007年も残り一ヶ月を切りましたが、

今年が優生思想の歴史において大きな節目の年だと知ったのは
5月のことでした。

ちょうど5月8日にシアトル子ども病院が記者会見を行って
Ashleyに対して行った子宮摘出術について裁判所の判断を仰がなかった点での違法性を認め、
続いて16日にはワシントン大学でその件についてのシンポジウムが開かれたりした直後だったので、

やはりAshley事件はこのような大きな時代のうねりの中で捉えなければならないと
改めて痛感させられた、

「今なお聞こえる優生思想のこだま」というタイトルのWPの記事。

Haunting Echoes of Eugenics
Washington Post(5月20日)

その大まかな内容は以下。

「痴愚が3代も続けばもう充分」との悪名高い言葉と共に
知的障害のある女性に不妊手術を命じたヴァージニア判決(バック v ベル)は、
ちょうど80年前の5月。

しかし、
国連障害者権利条約が障害者に固有な尊厳と価値を謳っている一方で、
世界中で障害児を選別・排除する動きが目立ってきている。

「遺伝病の遺伝子を持った子どもを産むことは、まもなく罪となるだろう」とは
embryologist (ヒトの配偶子を扱う研究者)であるBob Edwardsの言。

生殖ビジネスの企業家はHPに書く。
「我々はドナーにスクリーニングを行い、
医学的にクリーンなドナーだけを選んでおります」

また、

「障害児の数を増やして限られた資源をさらに無駄遣いすることは、あまり懸命ではない」
と、Peter Singer

米国では全妊婦にダウン症候群の出生前診断を受けさせようと産婦人科学会が提言。
(これについては、あのNaamも「超人類へ!」の中で触れていました。)

英国の産婦人科学会は重症障害新生児の安楽死を提唱

オランダでは2年前に
重症障害新生児の安楽死基準「グローニンゲン・プロトコル」が作られた。

米国では「不毛な治療」方針が
もっと“能力”のある患者のために病院ベッドを明け渡せと
最も自ら身を守る力の弱い患者たちに迫っている。

(「不毛な治療」については、
7月のシアトル子ども病院生命倫理カンファレンスでも主要テーマになっていました。)

……といった各国の動向を紹介し、最後に次のような言葉で締めくくっています。

バック判決から80年を記念する年に、
優生思想の犠牲者は過去の遺物だなどと愚かにも信じるのはやめよう。

いい遺伝子と悪い遺伝子を云々し、
障害のある命を傷物と考え、
ある命を他の命よりも重んじる医療施策を許している限り、

我々は日々、人権侵害を創り出しつづけているのだ。


そういえば

1月の“アシュリー療法”論争の際、誰かがどこかのブログに書いていましたっけ。

「障害者の人権は慎重に守らなければならない。」
なぜなら、障害者に起こることは、いずれみんなに起こるのだから」

             ―――     ―――

ちなみに、アメリカで最初に断種法を成立させたインディアナ州
以下のように、その事実を公式に謝罪、

また、優生問題を考える100周年のイベントを行っている模様です。



インディアナ州の優生法制化100周年イベント
Indiana Eugenics : History&Legacy 1907-2007