Ashley事件の裏側(spitzibaraの仮説)

このエントリーは、
もともと2007年11月29日に書いたものでしたが、

当時は、自分がたちまち個人的な興味だけでやっていることが、
その後、より大きな問題意識へとつながっていくことも、まして
本を書いて提起したいほど大きな問題を孕んでいくことなど、
まったく予想もできておらず、

また当時はほとんど誰にも読まれないブログだった気楽さも手伝って、
不用意な表現が含まれていたため、

拙著『アシュリー事件 メディカル・コントロールと新・優生思想の時代』(生活書院 2011)が
刊行された後しばらくして、とりあえず非公開としました。

気になる箇所を訂正した上で再掲しようと考えながら
なかなか手をつけられずに非公開のままとなっていましたが、

このたび『アシュリー事件』の重版決定に伴い、
新たに書き直して、以下に再掲しました。


2015年7月14日

            ===

このブログの背景とは、

アシュリー事件に関する報道や関連資料を読み込むにつれて、
担当医らとアシュリーの父親の発言の齟齬をはじめ、
小さな疑問があれこれと出てきたものだから、

つい軽い気持ちで一つずつ自分の疑問への答えを探して
細かい事実確認をしていくうちに、ずるずると芋づる式に
手に触れる疑問がどんどん大きなものになっていき、

やがて、
アシュリーの父親は、もしかしたらマイクロソフトの関係者なのではないか、
という疑問にたどりついたというものです。

シアトル在住の父親本人が2007年1月当初にメディアに対して
「ソフトウェア企業の重役」だと名乗っていること。
(つまり「自称」なのですが)

オプラ・ウィンフリーが番組に家族の出演を依頼した際に、
「父親が誰かが分かるとdisruptiveだから」という理由で断ったと
ディクマ医師が発言していることや、
CNNも父親にメールでインタビューした際に、
「今後、ご自身が誰であるかを明かすことをお考えですか」と質問していることなど、
父親の身分がこの事件では重要情報の一つと思われる一方、
それを知っているはずのメディアがなぜか取材や報道を手控えており、
「ソフトウエア企業の重役」情報に触れることすらしなくなったことも不自然。

また、
わざわざ父親の要望を検討するため「特別倫理委員会」を開いて、
その冒頭で父親にパワーポイントを使ってプレゼンをさせるなど
病院側の異例の厚遇や、

2007年5月のシンポで
発表を終えたディクマ医師が会場にいた父親のところへ行って、
「娘さんの件についての報告はあれで良かったですよね」と気を使っていたり、
ハワイで開かれた米国小児科学会の成長抑制の分科会について
アシュリー療法について発表した医師が父親に詳細に報告しているメールの文面が
迎合的な内容とトーンであるなど、
通常の医師と保護者の関係性とは思えないこと。

そして、WPASに添付された
アシュリーの2004年の入院時の医療費請求書に
マイクロソフト」と書かれている箇所があり、
入院費の支払いがマイクロソフトの被用者保険によるものではないかと推測されること。

私には確認する術はないので、
あくまでも仮説に過ぎませんが、

「重役」であるかどうかはともかく、仮にアシュリーの父親が、
何らかの形でマイクロソフト社と繋がりをもつ人物であるとしたら、

ゲイツ財団から多額の資金援助を受けており、
グローバル・ヘルスのリーダーとしてもパートナーであるなど
同財団との関係が深いシアトル子ども病院・ワシントン大学としては、

2004年のアシュリーの父親からの要望に対して
倫理的な判断というよりも、むしろ政治的な判断をせざるを得なかったのではないか。

そうして本来は水面下で留まるはずだった症例が想定外の展開で表に出たために、
病院も担当医らも“アシュリー療法”を正当化してみせる以外にはなくなり、
不幸な「前例」を作ってしまった、というのがこの事件の実相なのではないか。

つまり、この事件で本来問われるべきは
「この介入は倫理的に許容されうるか」ではなく
「シアトル子ども病院の倫理委員会はしかるべく機能したか」ではないか。

アシュリー事件の資料を細かく検証し、
そこから浮かび上がってくる数多くの矛盾や不可解を1つずつ追いかけていく作業から
至ったのはそういう仮説でした。
 
担当医師らや親の発言の不可解をほぼ説明すると思いますが、
しかし、もちろん、あくまでも「仮説」に過ぎません。

また、拙著『アシュリー事件』にも書いたように、
2004年どころか2007年からも、科学とテクノロジーはさらに発展を遂げ、
人々の意識も大きく変わりつつある中、2004年に本当は何があったのかには、
もはや大きな意味もなくなったのかもしれません。

逆に言えば、
この本の副題にした「メディカル・コントロールと新・優生思想」は
その後の世界でどんどん加速していく一方のようにも見え、

今、そうした世界を前に、改めて振り返ってみても、
アシュリー事件は、そうした時代のトバ口で起きた極めて象徴的な事件だったと
改めて驚嘆せざるを得ません。