WA大学が10月に「優生学と障害」シンポ

いただき物の情報。
夕方いただいてから、ずっと頭から離れない。

ワシントン大学の障害学プログラムが10月9日に公開シンポをやるというのですが、
そのタイトル、「優生学と障害・ワシントンにおける歴史と遺産」。



シンポの上記公式サイトでは、

1909年に障害者などの強制的不妊手術を認める法律を通したWA州は
米国で優生法を通した2番目の州だったと述べた後で、

20世紀前半に優生学があれほど広くもてはやされたのは何故なのか?
優生学の隠れた、そして複雑な歴史は2009年においては、いかなる意味を持つのか?


共催はUW障害学プログラムとUW教務部のほかに3組織あって、

障害とビジネス・テクノロジー支援センター(DBTAC)の米国障害者法(ADA)情報センターと
遺伝学と保健医療平等センター
Trueman Katz小児生命倫理センター。

最後にさりげなくくっついているTrueman Katzセンターというのは、
あのシアトル子ども病院でDiekema医師が事実上、仕切っているセンターで、
成長抑制療法の一般化を強引に推し進めている本拠地。

その前の2つを固有名詞で書かずに、敢えて日本語にしたのは、
「障害者のテクノロジーによる支援」と「遺伝学」を日本語にしたかったから。

さらに後援団体の中で私がこだわりたいのは以下の顔ぶれ。

マイクロソフトと並ぶシアトルの大企業、ボーイング社がらみコンピューター科学・工学関係の団体。
・ テクノロジーと障害研究センター
・ 人間発達(Human Development)と障害センター
・ 遺伝科学部

このあたり、ちょっとTHニスティックな匂いが漂っているような……気のせいでしょうか。

後援は、このほかに障害関連の9団体。


いや、まさか、いくらなんでも、大学を挙げて、
そこまでやるだろうか……とは思う。

でも、先の成長抑制ワーキング・グループの議論で
UWの障害学は学問としての節操を売ったね……という偏見を私は持っていて……。
(なにしろUW障害学は、あのシンポの「成長抑制スポンサー」の1だった)

もう1つ、見過ごせない箇所に触れておくと、

午後のプログラムのモデレーター、どこかで見た名前だと思ったら、
あのDRW(元のWPAS)の弁護士Carlsonさん。

2007年5月のAshley事件の調査報告書の著者。すなわち、
シアトル子ども病院に「今後は裁判所の命令なくこのようなことは致しません」と約束させた人。

この人は、私に言わせると、
Ashley事件の真相を知りながらホッカムリして自分とWPASの節操を売っただけでなく
WA州の全障害者を手ひどく裏切って、いまや成長抑制ワーキング・グループに入り、
そ知らぬ顔で成長抑制一般化のお先棒を担いでいる人だ。

この人、どんなに良心の呵責に耐えかねているだろうと想像していたら、
今度はこんなところで大学に尻尾を振っている──。

やっぱり、匂うよ、このシンポ──。


思い出されるのは
2006年の最初のAshley論文でDiekema医師が
優生思想による障害者への強制的不妊手術に言及していること。

過去にそういう事実があったと書いた後で、
彼は次のように書いている。

…….In many cases, these individuals were capable of living independently, marrying, and raising children. These decisions were based not on the best interest of the patient but rather on the perceived interest of society and, in some cases, the interests of parents or caretakers.

The lessons of these and other abuses must be remembered, but past abuses should not dissuade us from exploring novel therapies that offer the potential for benefit.

多くのケースにおいて、これらは自立生活が出来、結婚して子どもを育てる能力のある人たちだった。こうした決定は患者の最善の利益ではなく、社会の利益と考えられたものや、時には親や介護者の利益に基づいて行われた。

これらやその他の虐待の教訓は忘れてはならないが、過去に虐待があったからといって、利益の可能性がある新しい療法を探求することを諦めてはならない

2007年1月12日のLarry King Live
Ashleyに行われたことについて、将来の優生的な介入に繋がるとの懸念が出た時に
即座に反論したNorman Fostが言ったのは、

This claim of eugenics. Eugenics is about coercive government policy to sterilize people for fear that they would make more retarded children. That’s not what’s going on here. This is not state action. She did not have her uterus out because of fear of creating retarded children. It was done to help her, not society.

この優生学だという批判ですがね、優生学というのは知恵遅れの子どもを増やされては困るということで不妊手術をしようという政府の強制施策のことです。このケースは、そんな話じゃない。国がやっているわけじゃないんだ。Ashleyの子宮が取り出されたのは、知恵遅れの子どもが生まれては困るからじゃない。子宮摘出はAshleyを助けるために行われたのです。社会のためじゃない。


障害者本人を助けるために、その障害者本人の最善の利益にかなう形で
科学とテクノロジーで介入することは支援であって、優生思想ではない……。

「優生思想の複雑な歴史が2009年に持つ意味」って、もしかして、そういうこと──?

もしかしたら、障害者へのテクノロジー介入と優生学との切り離しの理論構築が
ここから始まろうとしているのかもしれない……なんて、

仮にも障害学主催のシンポで、まさか……よもや……とは思うけど。
これが私の妄想だったら、何よりなのだけど。