米・英政府とゲイツ財団とUNFPAにより優生施策、7月には国際会議も?

メリンダ・ゲイツがこのところ中絶や家族計画について発言しているらしいことは
あちこちで目にして気になってはいたのですが、やっぱり……という記事が出てきました。


1912年にロンドンで第一回国際優生学会議が開催されてから今年で100年――。

その記念すべき年の7月11日に、ゲイツ財団と英国政府の共催で、
米国のPlanned Parenthoodと英国のMarie Stopes International、
さらに国連人口基金UNFPA)も協賛して、
ロンドンで開かれることになっている国際会議は

ゲイツ財団によれば
「世界で最も貧しい国々の多くの女性に
より近代的な家族計画のツールを提供するため」のものとされているが、

実際は新たな優生学会議であり、
100年前の会議との違いは唯一、
今回の会議は優生目的を認めないということのみ、と以下の記事。

子どもを産むことを巡って女性の選択権を初めて主張した人たちが
だんだんと優生思想を説くことになっていった過程については
2010年に以下の本で読んで衝撃を受けた記憶がまだ生々しいのだけれど、



この記事でも、
Planned Parenthoodの創設者マーガレット・サンガ―
英国で同じく産児制限を主導したマリー・ストープスが共に優生学の関係者と繋がり、
Stopesは親になることに適さない人への強制手術を説いたことが語られている。

優生思想とは、
政府が望ましい国民像(1912年では白人で肉体的にも知的にも優れて富裕であること)と望ましくない国民像を線引きして、政治力を行使して前者を増やし、
後者を減少させようとするもの、と定義する記事の著者は、

最近のメリンダ・ゲイツの以下の発言を引用し、

Government leaders … are now beginning to understand that providing access to contraceptives is a cost-effective way to foster economic growth … Government should provide all women with access to family planning tools that are safer and effective and meet the needs of all women.

政府首脳たちは…避妊へのアクセスを提供することが経済成長を促すコスト効率の良い方法だということを今では理解し始めている。… 政府がすべての女性に安全で効果的な家族計画ツールへのアクセスを提供し、すべての女性のニーズに応えるべきである。


ここには、
貧しい人々の子どもは生まれてくると政府の資金によるプログラムを利用することになり、
経済成長を阻害する存在だとの前提が存在し、

したがって、
強制によらず、政策として目立たない形で行われる
ソフトな優生思想そのものである、と。

しかし、この記事のショッキングな指摘は、この点に留まらない。

こうしたソフトな優生思想が目立たなくなっているのは
既に力によるハードな優生思想がまかり通るようになっているからだ、と述べて、
その実態を報告している。

そこには中国の一人っ子政策や、
一人っ子政策を支持するスタンスに立つUNPFと、それを巡って
UNPF支持のオバマ政権vs 批判し選挙の争点にしようと狙うロムニー候補の対立、

さらには、
インドで貧しい国民に対して行われている強制的不妊施策と、
それを地球温暖化のための人口削減策として英国政府が多額の資金援助をしているとの、
驚くべき事実を指摘し、

詰まるところ英米の資金援助によって
中国とインドでは政府主導の強制的な人口削減策としての優生施策が取られている、と。

Melinda Gates Talks Eugenics
American Thinker, June 6, 2012


いろいろと、
これまで当ブログが拾ってきた断片情報と合致しているのは事実。

まず、こちらのエントリーの最後にまとめていますが、
ビル・ゲイツの父親はかつてPlanned Parenthood Federation会長であり、
2002年にはゲイツ財団から同連盟にグラントが提供されているとの情報がありました。

その他、ゲイツ財団が中国とインドの保健行政に深く関わってきたこと、
特にインドでの避妊に大きな関心を寄せてきたことは、以下のように
いくつものエントリーで拾って来た通り。




一方、米国では、いくつかの州で過去の強制不妊の歴史に謝罪や賠償の動きがあり、
MN州、100年に及ぶ差別的施策を障害者に公式謝罪(2010/6/15)
MN州の公式謝罪から「尊厳は無益な概念」を、また考えてみる(2010/6/17)



ちなみに、時々お邪魔しているakihito_uzuki2000さんのブログで
昨日、読ませていただいた以下の記事が偶然にも
「日本の精神医学と優生思想」というタイトルで


その最後に、akihiro_suzuki2000さんが書かれている以下の下りに、
唸ってしまいました。

優生学というのは断種と安楽死を究極の方法として、子育て、結婚相手の選択、疾病の治療と予防、ライフスタイル、そして人口移動などに幅広くまたがったプ ロジェクトであった。寿命から疾病構造から生活水準から居住にいたるまで、激変した近代社会のダイナミクスの中で、人間の生殖と生活に到達しようとした生権力と言いかえてもいい。


また、冒頭のみで、まだ読めていませんが、
インドの産児制限について以下の日本語論文を見つけました。
サンガ―やストープスについても言及あります。



この論文から「はじめに」の冒頭部分を以下に。

インド政府は、1952年に世界に先駆けて人口抑制政策を開始して以来、たびたびその方向性や名称を転換させつつも、今日まで一貫して「人口問題」に取り組んできた。しかし出生率や人口増加率の低下に集約される「成果」(表1)が目指されるあまり、女性の避妊手術に特化したターゲット方式を敢行するなど、その手法がしばしば批判の対象となってきたのは周知のとおりである。独立後の国家形成という大事業のなかで、身体そのものが統治・管理の対象となる過程は、まさにフーコーのいう生政治(biopolitics)[フーコー 1986]の展開として捉えることも可能であろう[松尾 2007a]。
だが、家族計画は、一方では個的身体を超えた人口という「全体」を志向する統治であると同時に、他方ではカーストや階層、宗教、ジェンダーという社会的要因による集団間の差異を作り出してきた。