英国王ジョージ5世の死は、弔報を朝刊に間に合わせるための安楽死だった

Tony Bland 訴訟のエントリーへのコメント欄でMoritaさんから教えていただいた
英国ジョージ5世の安楽死に関するNYTの記事を読んでみました。


英国のジョージ5世は
現在のエリザベス女王のおじいさん。

1936年にSandringham城で崩御

崩御の直前の1月20日夜11時、
主治医Dawson卿がコカインとモルヒネの注射を二回行ったことを記録している。

それは卿が「王の命は穏やかに終わりに向かっている」と
medical bulletin に記してからわずか1時間半後のことだったという。

ジョージ5世は注射から1時間もしない内に息を引き取ったが、
Dawson卿はそれ以前にロンドンの妻に電話を入れ、
タイム紙に発行を止めておくよう指示せよと依頼していた。

卿のメモには
崩御の知らせは「夕刊よりも、よりふさわしい朝刊に」掲載されるべき、とも。

Dawson卿の記録は現在ウインザー城の古文書館にあり、
卿の死後5年経った1950年代に刊行された伝記の著者がその記録を読み、
初めてジョージ5歳の安楽死を知ったが、Dawson卿の未亡人の希望によって伏せられた。

1986年11月になり、
著者のFrancis WatsonがHistory Todayというジャーナルに寄稿して明かしたもの。

Dawson卿の記録では
メアリー女王と息子の皇太子(後のエドワード8世)から
避けられないなら死を無駄に長引かせたくないと言われた、としているが
王自身に意向が問われたことをうかがわせる記述はない。

安楽死の話を持ち出したのが女王と皇太子サイドだったのか医師だったのか記録はないが、
10カ月後にDawson卿が下院での安楽死議論で法制化に反対してスピーチを行った際、
「慈悲の使命」という言葉を使い、医師それぞれの良心に任されるべき問題だと
語っていることから、Dawson卿の方から提案した可能性があるともいわれる。

「仮に命の長さを短縮することになるとしても、
死ぬことをより穏やかで安楽なものとするべきである。
治すことができないなら、その苦痛を経由するために最善を尽くさせてほしい」と
卿は議会で語っている。



なお、2006年にJournal of Medical Bioethicsに掲載された
ロンドン大学の研究者による論文のアブストラクトは以下。