UNOSが「心臓は"死んで”いなくても“循環死後提供”で」「脊損やALSの人はドナー候補に」

*2021年10月1日
2011年に記事を書いた際、
タイトルを「心臓が動いていても」としておりましたが、
これは「永続的に心停止に至っていなくても」の意味でした。
 
元記事は”dead"でなくても、と書いているので、
タイトルと本文のその箇所を「”死んで”いなくても」と訂正し、
そのほか、本文にも何か所か手を入れ簡略化しました。
 
以下、本文です。
 
いよいよ、なりふり構わずハゲタカの本性を剥き出しにしてきたな、という感じの
UNOS(全米臓器分配ネットワーク)の動き――。

 



米国でUNOSが
2007年のDCDのガイドラインの大幅緩和を画策している。

 

1年間かけて臓器獲得組織委員会(委員22名)での協議を重ね
改めて死を定義することから始まる16ページの提案書を作成し、
3ヶ月間の意見募集を行った。これは6月に既に終了。
11月にアトランタの会議で最終案を作成するというのだけど、

 

記事のあちこちから拾って整理してみると、
UNOSが狙っている改正点とは

 

DCD(心停止後臓器提供)で現在おおむね心停止から5分~2分とされている
摘出までの待ち時間の基準をなくして、それぞれの病院ごとの判断に任せる。

 

これについて
ワシントン大学のGail Van Normanから
「まだ死んでいない人から臓器が摘出されてしまう可能性に
目をつぶろうと言うに等しいのでは」など大きな懸念の声が上がっているが、

 

UNOS側は
どのくらい待つのが適当かを判断するのは、
それぞれの病院とその救急医療の専門家が最もふさわしい、と。

 

あと、記事が書いているのは
これまでDCDについて当ブログでもいくつかのエントリーで書いてきたことが大半ですが、
(詳細は文末にリンク)

 

気になる情報として、
脳死ではないものの事故や脳卒中などで重症の脳損傷を負って
ICUに入っている患者にDCDはじわじわと忍び寄って」おり、

 

ピッツバーグのあるプログラムでは
患者が救急救命室にいる段階からDCDで臓器が取れないかと試行しているし、
NY市には臓器獲得に特化した救急車が走っているとして調査が進行している。

 



DCDを donation after circulatory death(循環死後臓器提供)と呼び替える。

 

脳死は実際には血流の停止によって引き起こされるのだから
死を宣告するためには必ずしも心臓が”死んで”いる必要はない、という論法。

 

しかし、それは、死とは何かという倫理的な大問題から
目をそらせようとしているだけなのでは、との批判がある。

 

Georgetown 大学の生命倫理学者で
UNOS倫理委の委員でもあるRobert M. Veatchは
「一連のプロセスを新しい呼び方に改めることで問題解決を図ろうというのは
うまくないし、意図的な虚偽ともなりうる」と。

 

Veatchによれば、先週シカゴで開かれた委員会では
DCDの患者の死は、循環死や心臓死が定義する通りに、本当に不可逆であり永遠なのか、
という問題について、激しい議論が交わされたという。

 

心臓を圧迫するなどすれば血流が戻ることがある。
 
一方、ペンシルバニア大学の Art L. Caplanは名称変更に賛成。
そもそも心臓が死んでいたらDCDは成り立たないのに、
DCDという呼称には、心臓以外は生きているのに心臓を取るイメージがあるから。



「当該患者がドナーになりうるかどうかの評価を行うのは
病院のプライマリー・ケア・チームと法的近親者が呼吸器を含む生命維持治療の中止を
決定した後でなければならない」との文言をガイドラインから削除。

 

これにはCaplanを始め、多くの倫理学者が反対。

 

しかしUNOSは
ドナーにはなれないと早くに分かれば家族は難しい選択を迫られないで済むし、
逆にドナーになれると分かれば生命維持の停止の判断が容易になるのだから、
「とても辛い入院を経験した揚句に、さらに治療の継続が本当に患者の意に沿うのかどうか
難しい決断に直面してしまった家族の苦しみを無用に長引かせないであげたいのです。
死を悼む家族のための削除なのです」と。



脊損、筋ジス、ALSなど一定の疾患の患者をドナー候補として特定すること。

 

そんなことをしたら
治療をあきらめろとプレッシャーがかかるという懸念の声が上がる一方、
提供意思のある人が見逃されないための策に過ぎない、という正当化論も。

 

UNOSを監督する連邦政府のHealth and Resources and Services Administration関係者は
「個々の患者をターゲットにしようという話ではないでしょう」



今回の一連の提案について、UNOSの直前プレジデントは
「最終的な目標はドナー希望の患者さんの死に際の望みをかなえ、
臓器を必要とする112000人を超える患者さんたちの命を救うこと」

 

が、ドナーになれる可能性のある患者が病人として捉えられて
まだ生きられるよう治療を受けたり、穏やかに死ねるようにケアされるよりも
むしろ臓器や組織庫とみなされるようになる、との批判も当たり前だけどあって、

 

Boston大学のMichael A. Grodin教授(法、生命倫理、人権)は
「より多くの臓器を求めて、とことん狙い続けようという考えへの第一歩。
結局UNOSは臓器提供を増やすためなら何だってやりたいということ」



私は特に④には、本気で胸がムカムカした。

 

安楽死後臓器提供が既に4例行われたことを報告したベルギーの医師らが
こうした患者さんたちの臓器は「高品質」であり、
そのような安楽死者は臓器不足解消に役立つ「臓器プール」だと
ぬけぬけと論文に書いていたことを思い出す ↓