WHOが「人為的DCDによる臓器提供を検討しよう」と

某メーリング・リストに投稿された情報が
ちょっと聞き捨てならないものだったので。

3月10日刊行の日本移植学会雑誌「移植」46巻第1号に
自治医科大学客員研究員の ぬで島次郎氏の「シリーズ移植倫理
WHO移植指針 2010年 改訂と日本の課題」という文章が掲載されていて、

WHO改訂指針は、臓器不足に対処するため、死者からの提供を促進させる取り組みを求めているが、事務局報告書は、脳死者からの提供には限界があり、新しい提供源の開拓も必要だとしている。具体的に挙げられているのは、心停止後の提供である。通常の心肺停止後の提供だけでなく、まだ脳死状態に至らない末期の段階で、生命維持装置の停止を医師と家族が決定し、心停止に至らしめて、臓器を摘出する方式が検討対象として挙げられている(報告書13)。この方法に対しては、家族の同意だけで提供者の死期が早められる恐れが大きくなるので、強い抵抗が予想される。特に日本では、脳死を人の死とみなすことに対し、以前異論が絶えないことが、2009年の法改正の議論でも改めて示された。心停止ドナーの提唱は、脳死よりさらに前の早い段階での治療中止を想定しているので、激しい論議を引き起こすだろう。


ここで問題になっている
「まだ脳死状態に至らない末期の段階で、
生命維持装置の停止を医師と家族が決定し、
心停止にいたらしめて、臓器を摘出する方式」とは、

森岡正博氏の「臓器移植法A案可決 先進国に見る荒涼」のエントリーで簡単に書いた
ピッツバーグ方式」、人為的(人工的)心臓死後提供(DCD)のこと。

20日追記の注】
上記情報を投稿された方からアドバイスいただいたので、注記。
ピッツバーグ方式」とは心停止から2~3分しか待たないで摘出するやり方を指すが、
米国では施設によって心停止の観察時間は異なっている。
ヨーロッパでは10分間観察ルールを採用している国が多い。
日本にはそのような規定はない、とのこと。


これは、いよいよWHOが
ピッツバーグ方式による臓器移植を検討しようと公言した、ということですね。

しかし、DCDのすぐそばに「無益な治療」論が控えていることは
「無益な治療」の書庫に拾っている数々の事件や訴訟が物語っている、と私は思うし、

さらに言えば、それらの事件では、
生命維持を停止される患者は必ずしも「末期」ですらない。

当ブログではかなり前から、以下のエントリー他で、
DCDは無益な治療論と繋がるのでは、との懸念を書いてきました。



移植臓器が、誰かから善意によって「いただく」贈り物なのであれば
最初から移植用の臓器は恒常的に不足しているのが当たり前であって、
“臓器不足”が“解消すべき”問題となる……なんてことはありえないはずでは?

それが、いつから移植臓器は「不足してはいけない」もの
「ほしい人に行きわたらせなければならない」ものに
すり替わってしまったのだろう……?



これまで拙ブログで拾った、
重症障害ゆえの“無益な治療”論が救命や治療よりも臓器を優先させた事件2つを以下に。





以下、その他の関連エントリーなど。

【死亡提供者ルール廃止の主張に関連するエントリー】
脳死の次は植物状態死?(2007/9/10)
臓器移植で「死亡提供者ルール」廃止せよと(2008/3/11)
「脳死」概念は医学的には誤りだとNorman Fost(2009/6/8)