豪のDr. DeathがBBCで“自殺装置”による“自殺指南”を正当化

ついこの前アイルランドにいたNitschke医師
そのまま移動したらしい英国で、ワークショップを相次いでキャンセルされている。

最後に一つだけCardiffで計画されていたワークショップに
クエーカー教徒から非難声明が出され、Exit側が内容を変更した、とのこと。

その「予定されていた内容」というのがすごくて、

ノートパソコンと注射器を接続してNitschkeが考案した
「自殺装置」の使い方のワークショップ。

しかも、言うに事欠いて
「自殺幇助で起訴される可能性がある英国法の下では
私の装置のようなものが必要になる」と。

公開で装置の使い方を説明した後、非公開でさらに
致死薬の入手方法や、安らかに死ぬにはどの薬物が良いかなどを
話す予定だったらしい。



上記リンクに、4分ちょっとのインタビュー・ビデオがあります。

Nitschke自身も言っているけど、キャンセルでムカついているところに
キャスターのツッコミを受けて攻撃的な早口でしゃべっているので、
細部についてまで聞き取れた自信はないのですが、
主張していることは主に以下の2点ではないかと思われます。

・ワークショップのキャンセルは
主催者に圧力がかかったもので言論封殺だ。

・知識や情報にしても、薬物そのものにしても、
誰かが濫用する可能性があるから全面的に禁じなければならないという議論はおかしい。


記事とインタビューから思ったのは、

① 記事で引用されている発言の中で、死の自己決定権が認められるべき状態について
「自分でコントロールできない状態になったら in a situation where they have no control」と。

これ、読んだばかりだけに、斎藤環氏が言う「操作主義」そのものだなぁ……と。

やっぱり、ずっと睨んできた通り、
「科学とテクノの簡単解決文化」と「死の自己決定権」論は根っこが繋がっている。

② 「一部の人に被害が出るリスクがあるというのは単なる可能性に過ぎず、
そのために現実に利益を受ける人がいるものを全面的に禁止というのはおかしい」
という反論は、「死の自己決定権」論のお決まりの論理で、


米国小児科学会の「栄養と水分の差し控えガイドライン」でも
望まない医療を受けている子どもたちの利益を「すべり坂」論でジャマするなと
Diekemaは障害児保護への配慮の必要を一蹴している。

「科学とテクノの簡単解決文化」が倫理問題について疑問を呈されると、
繰り出してくるのも、この論理。

例えば、英国医師会は“救済者兄弟”について
生まれてくる子の精神的な害を「仮想的な害」とし
病気の兄弟の苦痛や死を「リアルな害」と称することで正当化している。

Ashley事件で成長抑制療法の一般化を狙うDiekemaやFostも同じで、

彼らは「すべり坂」リスクはエビデンスを欠いた可能性に過ぎず、
セーフガードさえ設ければ防げる、だから解禁すればよい、と主張する。

そのくせ、セーフガードが実際に機能しているかには興味などなく、
検証するつもりもない。

臓器が実際に闇で売買されていることは世界中の人が知っている。
それでもセーフガードがあれば防げると言ったはずの移植医療関係者は
実際にどの程度機能しているか検証してはいない。

それは、たぶん
「科学とテクノの簡単解決文化」の人も「死の自己決定権」の人も、
一部に濫用や虐待や殺人の被害者になる人が出たとしても、
それはやむを得ないコラテラル・ダメージだと考えているからではないのか。

「すべり坂論」へのこういう反駁を聞くたびに、そのことを思う。

そして、
そういう考え方をする人が多くなってしまった社会……というものについて、
深く考え込んでしまう。

③ このインタビュー、キャスターがものすごい非難がましい口調で
高齢者や障害者など弱者の側に立ってツッコミを入れているけど、

BBCはこれまで、以下のリンクに見られるように
どう考えても「死の自己決定権」アドボケイトとしか思えないような
報道姿勢を続けてきている。

議会で批判が出たほどの露骨さで。

そう考えると、非難の口調の陰で、
実はNitschke医師を引っ張り出してテレビで喋らせ、
センセーショナリズムで合法化議論を盛り上ることに一役買っているのでは……?

なんて、勘ぐってしまう。




【26日続報】
Cardiffのワークショップには30人が出席。
Dr.N はオーストラリアの認知症患者のケースを例にとり、
身近な人を自殺幇助で罪人にしたくなければ早くから計画しておくことだ、と。