「大人なら誰でも基本的な家事・育児・介護ができる社会」というコスト削減策

かなり前のことになりますが、テレビで
“日本人初のママさん宇宙飛行士”山崎直子さんの記者会見を見ていたら
「ミッションの間、家事はどなたが?」という質問が飛び出したのには
今の時代にまだこんなバカな質問をする男性記者がいるのかと
食事中の箸が思わず口元で止まってしまって、

日本国政府も「男女共同参画型社会」を云々するのなら
まずはこういう時代遅れのメディアの”常識”から教育し直してよね……と考えた。

その数日後、某所において
最近あちこちで話題になっている介護職不足とそれに伴う処遇改善の必要について
現時点で国が考えていることを厚労省の官僚が説明する場面に居合わせた。

その後、3%の介護報酬アップが発表されましたが、
これはそれ以前のこと。

官僚の説明の後に会場の介護職の男性から手が上がって、
「たちまち来年度の介護報酬の改定で報酬が上がるかどうかの議論も
気にはならないわけではないけれど、自分たちとしては
将来的にも介護職として働きながら
子どもを育て家族の介護などもしなければならない。
介護の仕事をしながら、そんなふうに家庭を営んでいけるような
息の長い支援というものも考えてもらいたい」

それに対して、その官僚の回答は
「それは部局が違う。
子育て・介護すなわち家庭と仕事の両立という問題では
女性の子育て支援、就労支援の担当になるので」と、いくつか省内の部局を挙げて
「そちらに問い合わせていただきたい」。

──え? 唖然としてしまった。

子育て支援・介護者支援はすなわち女性支援……って、
本当に日本国厚生労働省としての見解なの──?

それって、アンタの個人的な”常識”じゃないの──?

男女共同参画社会を論じさせたら、この同じ官僚だって多分こんなバカな発言はしないと思う。
介護保険の担当者として介護保険を論じる時にも
「介護は女性の仕事か」と突っ込まれるような失言はしないはず。

だけど、子育て支援は別問題だと、とっさに捉えてしまったのは
縄張り意識の破れ目から彼の個人的な”常識”が覗いてしまったのだろうと思う。

「子育てをしない男を父親とは呼ばない」と、あざといポスターを作った厚労省の官僚が
個人としての腹の中では「でも子育ては、やっぱり女の仕事だから」と
根強い”常識”を温存しつつ、場面によって、その2つのスタンダードを使い分けている。

彼の失言が物語っているのは
介護を巡るダブルスタンダード・美意識の根深さ。

そして、彼の発言を聞いても、
おそらく誰もそれが“官僚の失言”だとは気がつかないことが
この社会におけるダブルスタンダードの根強さを、さらに物語っている。

介護の社会化が言われ、子育て支援が言われ、障害児の親への支援が言われる一方で
「愛情さえあれば子育ても介護も苦にならないはず」との美意識が
無言のうちに社会からの規範として介護者自身に内在化されている。

そんなダブルスタンダードの存在が同時に、
支援を必要とする人から悲鳴を口封じして、
助けを求めるSOSの声を奪っている……と
当ブログはずっと訴えてきました。

そろそろ「子育ても介護も女性の仕事」という”常識”を
本気で捨ててはどうでしょうか。

そして、国は本気になって、男女を問わず、
基本的な家事・育児・介護の能力をきっちりと身につけた大人を育てる教育をする。

そしたら「ウンチのオムツだけは男には替えられない」などと
非科学的なことを言い訳にする男もいなくなるし、

障害のある子どもの子育てを妻に全面的に押し付けておいて
「ボクの面倒はちっとも見てくれないで、妻はグチと文句ばっかり」と幼児並みのタワゴトをほざいて
子育ての責任ごと家庭を放り出すような無責任な男も減る。

男性独居高齢者がろくに料理も掃除もできないからといって
ちょっとやる気にさえなれば無用なはずのヘルパーを派遣する必要もない。

高齢者を虐待する筆頭に上がるのは息子介護者だというのは有名な話で、
男性は家事・介護能力が低いことがストレスになるのが原因だと
よく専門家が分析していることはもちろん、

私はここにはもう1つ、別の要因があると推測していて、それは、
「介護みたいな汚いお世話仕事はもともと女の仕事」だと思い込んできた男性が
いざ自分が介護者役割を担わざるを得なくなった時に、
「なんで男の自分がこんなことをやらないといけないんだ」という不満を
潜在的に抱えているからではないか、

それが
介護のストレスを溜め込んでしまった時に
一気に爆発してしまうのではないか、ということ。

政府が本気で子育て支援や介護費用の削減を考えるのなら
国民全員が性別を問わず大人になったら誰でもある程度の
家事、子育て、介護ができるような教育を整備し
「家事も子育ても介護も女の仕事」という常識を根絶やしにすべく
意識啓発に努めるのが一番の早道なのでは──?

そういう社会なら、
夫婦や家族がともに子育てや介護の負担を担えるキャパシティがまず今より大きくなるし、

誰もがすることであるだけに社会全体に負担感がある程度共有・理解されて
非現実的な理想像や美意識の押し付けが解消され、
負担に対する社会の風通しもよくなって、

苦しい時には苦しいと率直に悲鳴を上げ、
自責や罪悪感に縛られることなくSOSを出して助けを求めることができる。

それは子どもや高齢者への虐待の防止にも繋がる……。

そんな気がするのですが。