山森亮「ベーシック・インカム入門」

まずは、お知らせ

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東京大学READ「経済と障害の研究」公開講座

ベーシック・インカムの課題と可能性
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日時:7月4日(土)13時―17時
場所:東京大学本郷キャンパス 経済学研究科棟 第1教室
http://www.u-tokyo.ac.jp/campusmap/cam01_08_01_j.html

講演・山森亮さん(『ベーシック・インカム入門』著者、同志社大学教員、経済学)
ベーシック・インカムの課題と可能性:
  障害者運動の思想から何を引き継げるか」

課題提起
川越敏司さん(はこだて未来大学教員、経済学)
澤田康幸さん(東京大学教員、経済学)

情報保障
手話通訳・文字通訳あり
点字レジュメ、拡大文字レジュメは事前にお問い合わせください。

講座終了後に懇親会を予定しています。懇親会への参加を希望される方は、事前にお
申し込みください。

懇親会申込・お問い合わせ先
read.koukai@gamil.com

主催・東京大学READ「経済と障害の研究」
http://www.read-tu.jp/index/


山森氏の「ベーシックインカム入門」は何ヶ月か前に読んだ。

私はつい最近まで何も知らなかったので、
ネオリベ社会の行き詰まりで出てきた概念だとばかり思っていたベーシックインカム(BI)が
実は200年もの歴史を持つ思想だということや、

(米国キング牧師らの公民権運動や
イタリアのフェミニズムの運動や
日本の青い芝の会の活動が求めていたのもBIだとか)

これまで経済学の中でBIがどのように議論されてきたかという背景、
日本の福祉施策が実は就労促進のワークフェアでしかないことや
福祉国家が宿命的に持っている命の序列化と切り捨ての指摘、
それゆえにBIが持つ今日的意義など、とても興味深かった。

BIとは何ぞや、という話は、
初めてBI本を読んでみた時のエントリーがこちらに。


特に介護の問題と照らして個人的に印象的だったのは、
イタリア・パドアの女性たちが家事労働に賃金を求めて1971年に出した文書の一節で、

家事労働は資本主義社会内部に未だ存在する唯一の奴隷労働である。(中略)

いわゆる「家庭内」労働が女性に「自然に」帰属する属性であるという考え方を私たち女性は拒否する。それゆえ主婦への賃金の支払いのような目的を拒否する。反対に、はっきりと言おう。家の掃除、洗濯、アイロンがけ、裁縫、料理、子どもの世話、年寄りと病人の介護、これら女性によって今まで行われてきた全ての労働は、他と同様の労働であると。これらは男性によっても女性によっても等しく担われうるし、家庭というゲットーに結び付けられる必然性はない。

私たちはまた、これらの問題(子ども、年寄り、病人)のいくつかを、国家によるゲットーを作ることで解決しようとする資本主義的あるいは改良主義的試みも拒否する。

これは日本の介護保険について
樋口恵子さんたち「高齢社会を良くする女性の会」が今なお主張し続けていることだ。

それでも介護の社会化を謳った介護保険
わずか数年で「財源がもたない」という話になれば
社会化どころかノーマライゼーションだの脱施設だのという美名の下に
介護負担はまたぞろ家庭に(つまり女性に)押し戻されて
もはや同居家族がいればヘルパーの生活援助も認められない。

それから終末期医療や障害児・者への医療と教育で言われる「社会的コスト」に関しては、

ノーベル経済学者賞を受賞した経済学者のステイグリッツはアメリカを例にとり、財政赤字の責を福祉などの社会扶助支出に帰するのは誤解に基づく議論だと指摘しているが、日本の社会扶助支出はGDP比でそのアメリカよりも低いのである。日本で、私たちがもし財政再建のため福祉支出を削らなくてはいけないと思い込まされているとするならば、それは「誤解」か、あるいは何か別のことへの予算支出を隠ぺいするためのスケープゴートに福祉がされているに過ぎない。(P. 40)

奇妙なのは、お金がかかる話すべてに財源をどうするかという質問がされるわけではないことである。国会の会期が延長されても、あるいは国会を解散して総選挙をやっても、核武装をしようと思っても、銀行に公的資金を投入するのにも、年金記録を照合するのにも、すべてお金がかかる。だからといってこうしたケースでは「財源はどうする!」と詰め寄られることはまずない。

こうした中で特定の話題(生活保護などの福祉給付やベーシックインカムなど)にのみ財源問題が持ち出されるあり方を見ていると、財源の議論を持ち出す動機は往々にして財源をどう調達するかについて議論したいのではなく、単に相手を黙らせたいだけであると思わざるを得ない。(P.222)


まったく同じことが医療のコストについても言えるはずだと
当ブログでもずっと考えてきた。



本当に医療費を押し上げているのは
常に数値が示されて「コストがかかる」とあげつらわれる
終末期の患者さんたちや障害児・者なのか。

その一方に、
莫大なコストがかかるはずなのにコスト計算がされることのない
最先端医療やトランスヒューマニスティックな研究があるのではないのか──。