テキサスの"無益なケア"法 Emilio Gonzales事件

一連の報道から事件の概要を以下に。

Emilio Gonzales君はLeigh病(中枢神経を侵される遺伝性の障害)で見ることも話すことも食べることもできず、生後14ヶ月時の昨年12月からテキサス州オースティン子ども病院の集中治療室に入院、人工呼吸器を装着していた。呼吸器をはずせば数時間以内に死んでしまうという状態。

Leigh病には治療法がなく、この状態はEmilio本人に無駄に苦痛を与えているとして3月12日に開かれた病院の倫理委員会(非公開)は治療の停止を決定。

テキサスには現大統領のジョージ・ブッシュが知事だった1999年に出来た「無益なケア法」が存在し、医師・病院が無益だと判断した治療は本人や家族の意向によらず停止することが出来る。ただし、転院先を探す猶予として、治療の停止を患者サイドに通告した後10日間待たなければならない。

Emilioの母親は息子にはモルヒネが投与されているから苦痛はない、自分に反応を返してくれると主張。人工呼吸器をつけたまま自然な死を待ちたいと、治療の停止を拒否。無益なケア法と病院側の決定の合憲性を争う裁判を起こし、病院は治療の続行を命じられた。

転院先は見つからず、その後上訴審で裁判所に任命された法定代理人は病院側の主張に沿った報告書を出したが、ヒアリングの日程が延びている間の5月19日、Emilioは急変し母親の腕の中で息を引き取った。

このケースにも、アシュリー療法論争で見覚えのある名前が登場しています。4月25日のCNN。登場するのはArt Caplan とLainie Rossです。Caplanは“アシュリー療法”問題に多少でも興味を持って調べた方ならお馴染みでしょう。1月のニュースブレイクからCNNにも出ていたし、あちこちのニュースでコメントが引用されている批判派生命倫理学者の筆頭でした。Lainie Rossについては最近このブログで紹介したばかりですが、“アシュリー療法”では1度だけ、おざなりな擁護のコメントがあります。面白いのは、この2人のEmilioのケースでの判断がちょうど“アシュリー療法”での判断の逆になっていること。

“アシュリー療法”に断固反対したCaplanがEmilioのケースでは「親の理解が間違っていることもある。親だからといって不毛な状況で子どもに苦痛を与える権利はない」といって病院の判断を支持。逆に”アシュリー療法“では本人にとってのベストだといって擁護していたRossが、Emilioのケースでは「彼の命が生きるに値するかどうかを決められるのは医師ではなく親。QOLが良いかどうかを決める権利があるなんて、何様のつもり? 私の子どもだったら何ヶ月も前に中止してもらっているけど、でも私の子どもではないのだから」と反対。

それぞれCaplanは子ども本人の視点から考えるというスタンス、Rossは親の決定権を最大限に尊重するというスタンスだと理解すれば、いずれのケースでもそれぞれの考え方は筋が通っていると言えるでしょう。

Rossはさらに無益なケア法を批判して、この法律のもとに既に何度も治療が停止されてきたが、貧しい家族に対して利用されることが多いと指摘し、次のようにコメントしています。

無益なケア法は貧しく弱い立場の人々に対して使われることが多くなるでしょう。このゴンザレス一家が息子を家庭でケアするための看護師を雇えたとしたら、我々はこんな議論はしていなかったはずです。

人工呼吸器を装着しているほどの重症児を家庭でケアするために看護師を雇える家庭というのが一体どのくらいあるとRoss医師は考えているのか。かなり庶民の感覚とはかけ離れているのではないかと思うのですが……。それはともかく、病院側のホンネがコストだという指摘はいかにもありそうです。

それにしても“アシュリー療法”論争での同医師のコメントのおざなりさと比べると、この問題に対してRossは非常に熱がこもった発言をしているという印象があります。

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なおテキサスの無益なケア法については、障害者の人権擁護団体Not Dead Yetが2006年5月1日付で「テキサスの“無益なケア”法は安楽死させるべき」との声明を出しています。“アシュリー療法”論争にも強く抗議した団体です。この声明でNot Dead Yetは無益なケア法の問題点として、治療が客観的に無益である必要がなく、QOLなど医師の主観的な基準であったり治療にかかるコストが考慮されたうえでの治療拒否である点が指摘されています。そして、医師にこれほどの権限を持たせてもいいのか、そもそも果たして合憲なのか、医療消費者はよく考えてみなければならない、と疑問を呈しています。

この指摘を念頭に、今年のトルーマン・カッツ・センターの生命倫理カンファレンスにおけるFost講演Wilfond講演をもう一度見直してみると、まったくもって的を付いたNDYの懸念だと改めて痛感します。

【追記】それにしても気になるのは、ここでも倫理委員会が非公開であったこと。病院サイドは何度も「問題はコストではない、本人に無益な苦痛を与えていることだ」と弁明していますし、記事によっては「治療にいくらかかっているかすら知らない」とも言っていますが、議論が非公開では俄かには信じがたいでしょう。