まだある論文の”不思議” その4

の冤?ウンセラーであった医師が論文執筆者であることの不思議

このような医学論文で、倫理カウンセラーという立場でそのケースにかかわった医師が執筆するということが、どの程度当たり前のことなのか、私はまったく無知なので分かりません。が、倫理委員会での審議過程とその判断に彼らがなんら後ろめたさを感じる必要がなく、この療法のメリットにも本当に心からの自信を持っていたのだとしたら、今回の一連の処置の責任者である内分泌医のGunther医師が一人で論文を書けばよかったことなのではないでしょうか。

WPASは調査で、アシュリーへの処置の担当医として内分泌医と外科医の2人に聞き取りを行っています。内分泌医はもちろんGunther 医師でしょう。おそらく調査報告書Exhibit Lにおいて、倫理委で意見陳述したとされるO'Neil医師がこの外科医と思われます。この聞き取りで、外科医は手術前に、アシュリーの弁護士の手紙のコピーと倫理委の勧告文書の両方を手に、診療ディレクターのところに確認に行ったと語っています。そして、そこでアシュリーの弁護士の見解でもって法律的な問題がクリアされたとの判断から、診療ディレクターが手術の実施に最終的な承認を与えたとのこと。(WPASの調査報告書添付のExhibit J によると、その後、診療部長は別人に代わっているようです。)この外科医の行動は、執刀医・主治医として自分が責任を問われることへの懸念から出たものでしょう。論文を書いて症例報告を行うのであれば、直接的に医療行為に携わっていない倫理カウンセラーよりも、この外科医のほうが本来ふさわしいのではないのでしょうか。

けれど、もちろん、この不思議は、Diekema医師がその後も一貫して、いわば病院サイドの広報担当者のような役回りを演じてきたことと無関係でもないのでしょう。

それにしても、Gunther医師はシンポにも出てきませんでした。WPASが聞き取りを行ったという外科医も出てきていません。アシュリーの個別のケースをテーマにした午前の部のシンポに、病院側からのパネリストは倫理の検討にかかわった2人で、直接的にこのたび問題になっている医療行為を担当した医師は加わっていなかったということになります。(Cowen医師はアシュリーの昔からの主治医ですが、モデレーターでありパネりストではありませんでした。)