まだある論文の”不思議” その5

ハ席姑表の時期の不思議

アシュリーの手術は2004年7月のことでした。論文発表までに2年以上経過しています。論文発表時、ホルモン療法は開始から1年ちょっと。まだ継続中です。(追記:事実はこの段階で「2年とちょっと」だったようです。その後 ここで論文のいう「開始から1年ちょっと」はウソと判明しました。http://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara/9980853.html 「論文のウソ 追加」のエントリーを参照してください。)

なぜ、この時期まで発表しなかったのでしょうか。
なぜ、この時期になって発表したのでしょうか。

これまで見てきたように、この論文には、磐石の自信がある症例を「どうだ」と報告するといったトーンはありません。障害児福祉の難題を解決する新たなアプローチを発見したと、胸を張って堂々と提唱するというふうでもありません。むしろその逆に、隠蔽したり誤魔化したり姑息なトリックを忍ばせたり、自分で論文発表していながら「バレてほしくない」という本音がコソコソと聞こえてきます。内容に関連するその他の発言でも、隋所に責任転嫁の無意識が作用しているようです。これらを総合して考えると、はっきり言って、この論文は「うさん臭い」し、そこから匂ってくるのは執筆者の後ろめたさではないでしょうか。

しかし不思議なのは、論文が発表されたこの段階で、アシュリーの手術は当事者以外には漏れていなかったことです。(アシュリーに行われたことの一切が、それまでの2年間、世の中にはまったく知られないままだったという事実は、もっと重視して考えなければならないのではないか、と私は思っています。)2年間もバレずにきていたのだから、そんなに隠したいことや誤魔化したいことばかりだったのであれば、わざわざ論文など書かず、そのままにしておけばいい。そうすれば、直接関与した病院関係者とアシュリーの両親以外、世の中には知られないまま、すべてが隠蔽されて終わっていたはずなのです。

それなのに、なぜ、わざわざ論文を書いたのでしょうか。しかも、こんな中途半端な時期に。こんな中途半端な内容の論文を。

ちょっと荒唐無稽にも思えるかもしれませんが、彼らは本当は自分たちがやったことがマズイと知っていたし、できれば隠しておきたかった、論文だって書きたくなどなかった、でもどうしても書かなければならない事情があった、と仮定してみたら……?