高谷清著「重い障害を生きるということ」メモ 3

前のエントリーからの続きです。


一つだけ、もしかしたら
アシュリーやミュウが重症身障害児・者の幅広いグラデーションの中では
むしろ「軽い」方に類するから、という面はあるかもしれないのだけれど、

重症障害児・者の「意識」について書かれていることの中に、
親としては、ちょっともどかしい気分になるところがある。

それは例えば、
20日のエントリーで、トリソミー13の子どもの意識状態について
倫理委からの問い合わせを受けた遺伝学の専門家の
「言葉を話したとか、親が『この子は分かっている』というのは聞くが、
それが事実かどうかは自分にはわからない」という応えを読んだ時に感じる、
隔たりと、もどかしさのようなもの。

もちろん著者はこの人のように「事実かどうか自分にはわからない」と突き放してはいないし、
著者なりの分かり方で誠実に分かろうとしている。

「どうせ何も分からない」「赤ちゃんと同じ」と決めつける人たちの対極にいるという意味では
高谷氏はもちろん私たち親と同じ側にいる。

それでも、私たち重症心身障害のある子どもを持った親が
「この子は分かっている。あなたや私と同じ分かり方ではないかもしれないけれど、
この子なりの分かり方で分かっている」という言い方をする時に、

親の言う「この子なりの分かり方」と、
著者のいう「内在意識」と「関係的存在」の間にある「分かり方」とには
なお隔たりがあるような気がする。

その隔たり感をなんとか言葉で捕まえたいと、あがいているうちに、
このエントリーを書くまでにずいぶん時間が経ってしまった。
今だにそれを説明する言葉を獲得できないことが、さらにもどかしい。

とりあえず、
その隔たりは、もしかしたら、
医療の中から生活を見ている人と、
生活の中に共にどっぷり浸かっている者の隔たりなのだろうか……と考えてみる。

実際に自分の身体でその子(人)を直接ケアすることを通じて、
あるいは一定の期間その子(人)と生活を共にすることによってしか、
つまりは頭や理屈ではなく自分の身体で納得するしか知りようのないこと……というものが
世の中にはある、ということなのかもしれない。

重症児・者の「わかっている」というのは、
そういう類いのことなのかもしれない。

そんなことをぐるぐるしながら、、
「重い障害を生きるということ」や「痴呆を生きるということ」で書いてもらえること、
「逝かない身体」でしか書けないこと……ということを考えている。

「説明できること」と「描くしかできないこと」……について。

その辺りのことは、
この本からもらった宿題として考え続けてみたい。


重い障害のある人、認知症の人の生を
「生きているのがかわいそう」だといい「自分がそうなったら死んだ方がマシ」と言っては
価値なきもの、「社会の負担」として切り捨てようとする包囲網が
じわじわと世界のあちこちから狭められてきている。

そして、それにつれて世の中が寛容や品性を失い
どんどん殺伐とした冷酷な場所になっていく。

包囲網が狭まる速度は、
このブログでニュースを拾ってみるだけでも日々加速していて、
ヤキモキ、ジリジリしてしまうほどだ。

この本を読んだ直後に、某所で高谷氏の言葉に触れた。
その一節に書かれていたのは「思想的対決が必要」――。

その対決では、専門家にしか言えないこともある。
当事者や家族にしか言えないことだってあるはずだ。

だから、
私も共に闘う。
私はここで、このブログで――。

そう心に念じ、武者震いした、

「重い障害を生きるということ」と真摯に向かい合おうとする医師との出会い――。