ハリケーン・カトリーナ:メモリアル病院での“安楽死”事件 4/5: Day 4

Day 4 (9月1日 木曜日)

Tenet社が何台ものヘリコプターを手配。
軍のヘリや警察も来て、救助活動が一気に活発化する。
が、ニューオリンズの治安は悪化する一方で、
警察は病院の警備を午後5時で打ち切るとして、
それまでに患者の避難を終えるよう病院に通知した。

この頃 Cook は洪水で家に取り残されている息子を助けに行くため、
病院を去る準備をしていた。病院を出る前に、彼は2階で
Pou とカテゴリー3の患者の扱いについて相談している。

その中には、まだ7階に残っている9人も含まれていた。
Cook が Fink に語ったところでは、彼がこのとき考えたのは

・LifeCare の患者はもともと「慢性的な寝たきり状態」で、この暑さで参っているだろう。
・メモリアルのスタッフは疲れていて、とても今日中に9人を下に運べない。
・外から協力が得られない限り、そんなことは無理だ。

Cook は Pou に、モルヒネベンゾジアゼピンの配合を教え、
それで患者は「眠りに落ちて死ぬ」と教えた。

その後、7階の看護責任者の Mendez は、
取り乱した様子の Pou から相談を受けたという。

LifeCare の患者は助からないと思う、と Pou が言い、
その通りだと思う、と Mendez が答えた。

言い淀んだ後で、モルヒネなどを注射することが決まったのだと Pou が打ち明け、
それは LifeCare の患者だけか、と Mendez が問い、
そうではない、どこまで広がるかは分からない、と Pou。

Pou はさらに、LifeCare の患者の責任はメモリアルに移ったので、
LifeCar eの看護師は関わらず立ち去るように、と言い、Mendez はそれを
町に戒厳令が敷かれていて、Pou は軍の命令に従って行動しているのだと誤って解釈した。
(ただし、これは Mendez 証言。Pou はこの会話を否定している)

もう一人、7階の責任者 Robichaux も
他の LifeCare職員と共に Pou と協議をしたと証言している。
彼女の記憶では「安楽死」という言葉は出なかった。
「安楽に comfortable」という言葉はあった。

LifeCare の患者は「意識がないか低いか、どっちにしてもそういう人たち」だと Pou が言い、
Robichaux がそれは違う、と患者個々の状態を説明した。

今朝も朝食を持って行くとジョークを飛ばした61歳の男性患者 Everett氏は
380ポンドの巨漢で、11年前に脳卒中で四肢まひとなったが、
いつもユーモアのセンスがあり前向きだった。
腸の手術のために入院してきただけで DNR でもない。
今朝もめまいがする他は異常もなく、
「置いて行くと言われてもそうはさせないでくれ」と頼んでいた。

それを聞いた Pou が Oh, my goodness と答えたのを LifeCare職員が記憶している。
この会話にはメモリアルの看護師2名と LifeCare の看護師2名も加わり、最終的に
Everett は重すぎて下に運べないとの結論に達した。

(当時ボートやヘリへの患者割り当てを担当した職員は
自分たちには Everett の存在は知らされていなかった、
知っていたら、運び出す手はあったと証言している)

避難させられない事情を Everett 本人に説明に行くように
Pou に命じられたのは LifeCare の看護師の Gremillion だった。
午前11時、Gremillion が「自分には出来ない」と泣いているのを見た上司の看護師が
Robichaux に確認に行くと、「ウチの患者は避難しない。置いて行かれる」との答えだった。

Pou がモルヒネの瓶を沢山7階に持ってきた。
LifeCare の薬剤師がさらにモルヒネミダゾラムを追加。
Pou と2人の看護師が薬液を注射器に吸い取るのが、
LifeCare の幹部職員 Kristy Johnson に目撃されている。
それから Johnson が3人を Everett のいる7307号室に案内。

医師があんなに緊張しているのを見たことはなかったと
その時の Pou について Johnson は後に証言している。
歩きながら「めまいを良くする」薬を打つのだと Pou は言い、
部屋に入ってドアを閉めた。

Johnson は7階を案内して歩きながら、Pou とメモリアルの看護師が注射をする間
患者の手を取り、お祈りをした。Pou は患者に「気分のよくなるお薬をあげますね」と言っていた。

Johnson はメモリアルの看護師一人を7305室に案内した。
その看護師が2人の高齢女性患者に注射し、Johnson はやはりお祈りをした。
Johnson が後に証言したところによると、その2人は意識があり容態も安定していた。

2階のロビーにも、カテゴリー3の患者がまだ残っていた。
お昼ごろ、Pou が注射器を手に現れ、その何人かに
「気分が良くなる薬を」と言っているのを聞いたと証言するのは King医師。
King ともう一人、病院内で話が出るたびに安楽死に反対し続けていた医師が
何が行われようとしているかを知り、この時、病院を去る。

2階には Pou を含め3人の医師と数人の看護師だけが残った。
カテゴリー3の患者は避難させないと Pou に聞かされた看護師の一人 Thiele は
みんなが立ち去った後で病院に黒人が武器を持って入ってきたら、
この人たちはどうなるのかと考えてゾッとしたという。
厳密にはこれは「犯罪」だとも知りながら、彼は自発的に手伝い、
窓際の4人の点滴にモルヒネなどを注入した。
 
ICUの看護師で倫理委のメンバーでもある Wynn は
安楽死が行われているとの噂を聞いてはいたが、
自分たちがやっていることは患者を楽にするための与薬だと考えていた。
あの時、スタッフにしてあげられることは「安楽と平穏と尊厳」だけだった、
「できるかぎりのことをしたんです。あの状況では正しいことだったのです」
また「あれが安楽死だったとしても、毎日の勤務でやっていないことでもありません。
ただ、別の名前で行われているだけで」と、Wynn は Fink へのインタビューで語っている。

注射されても死ななかった患者もいた。体格のいい黒人男性だった。
Thiele はモルヒネを追加し、手をとって早く死ねるように祈ったが死ななかった。
Wynn の記憶では、この男性は機械室の壁の穴から避難のヘリコプターへと運ばれていったという。
Thiele の記憶では、みんなでタオルで口をふさいで死なせた、という。

午後9時。
Cook医師が前日2階で死んでいると間違えた巨漢の Rodney Scott が
車いすのままヘリコプターに乗せられていった。生きて病院を出る最後の患者だった。