ハリケーン・カトリーナ・メモリアル病院での“安楽死”事件 3/5: Day 3

Day 3  (8月31日 水曜日)

カトリーナの上陸から48時間。メモリアルの補助発電機が止まる。
7階ではバッテリー作動となった7人の呼吸器のモニターからアラームが鳴り響いた。
約30分後にメモリアルの看護師がやってきて、急いでヘリパッドまで連れてこいと告げる。
呼吸器をつけたまま患者はボランティアによって運ばれた。

80歳の男性患者に付き添った看護師は1時間近くアンビュー・バッグを押し続けた。
通りかかった医師に、もう手遅れだ、この患者に使う酸素はない、と告げられて中止。
看護師は患者を抱き、息を引き取る間、頭をなで続けた。

この頃、Pou医師も2階で看護婦と交代でアンビュー・バッグを押していた。

その朝、医師と看護師は、撤退を迅速化すべく
7階も含め残った100人以上の患者を階下に移し3つのグループに分けることを決定。

最初は、自力で起き上がったり歩いたりできる患者で、避難では最優先。
次のグループが、移動に助けが必要な患者。
最後が重症だったりDNR指定になっている患者のグループ。

このグループ分けに特に担当者は決まっていなかったが
Pou医師は看護師2人と一緒に率先してこの仕事を担った。
看護師がカルテを読み上げ、Pou医師が決めたカテゴリーを書いた紙が
患者の胸にテープで止められた。

Pouも同僚にもトリアージについて研修を受けた経験はなく、
9つあるトリアージプロトコルのいずれかを用いたというわけでもなかった。
またトリアージの方法論そのものがいまだに確立されているわけでもない。

最初のグループの患者は救急の出入り口ランプに(エア・ボートが来ていた)
第2グループは2階の駐車棟へ続く機械室の壁穴の近くに集められた。
最後のグループは2階ロビーに。そこでおむつ交換や水分補給のケアは続けられたが
点滴や酸素は少なかった。

マットレスに病人を乗せて洪水の中を運んできたり、泳いできた怪我人も
治療はできないと追い返された。それに抗議する医師もいたが、幹部医師Cookは
外部の人間が病院に入り込んで、薬物や貴重品を略奪することを警戒したという。

Cook医師は肺疾患の専門医。07年12月のFinkのインタビューで、
この日、死なせる目的で患者へのモルヒネを投与したことを告白している。

患者が階下に移されたことを確認するため、
Cookは心臓病のある身で熱気のこもった階段を8階まで上がり、フロアを見回った。
ICUに体重が200キロほどもありそうな進行がんの女性患者(79)が残っていた。
安楽ケアのみを受けており、既にモルヒネで意識は落とされていた。

ここでCook医師が考えたことは3つ。

① 心臓病のある自分は2度とここには上がってこれない。
② 患者は重すぎて運べない。
③ この患者のためにICUに残っている4人の看護師は他で使える。

その患者自身は鎮静されて不快感を感じているわけではなかったが
Do you mind just increasing the morphine and giving her enough until she goes?
(亡くなるまでモルヒネを増量してくれないか?)と看護師に指示し、
Cookは時刻を白紙にしたままカルテに「死亡を宣告」と書き入れ、
サインしてから階下に降りた。

インタビューでは次のように語っている。
「後悔はありません。自分のしたことに気が差したこともありません。
投薬したのは早く片付けるためでした(get rid of her faster)。
看護師を他のフロアに行かせるためです。患者の死を早めたことに相違ありません」

当時、救助はなかなか進まず、患者は弱っていく一方だった。
Cookにとっては、患者の死を早めるか、見捨てていくかの絶望的な状況に思われたという。
「もしも置き去りにするのなら、死なせてやるのが人間的だろうという事態だった」

2階ではPou医師らが治療を指揮していた。
ICUの患者Rodney ScottがCookの目についた。
心臓疾患で何度も手術を受けた巨漢だ。自力歩行が出来ない。
300ポンドを超す巨体が壁の穴につっかえるかもしれないので
避難は最後にしようということになっていた。
汗にまみれ身動きもせず横たわっているので、
死んだのかと思ってCookが触ってみたら、寝返りを打ち、Cookの顔を見て
「私は大丈夫だから、先生、他の人を診てやって」と言った。

頭で考えてはいたが、こんなにたくさん人がいるところではできない、とCookは思った。

後にCookは「目撃者が多すぎるから、やらなかった。それが神に誓って真実だ」と
Fink によるインタビューで語っている。

Deichmann も他の医師からDNR患者の安楽死について意見を求められたことを
06年に出版した回想録に書いている。誰も安楽死させる必要はない、
DNR の患者を最後にしたにせよ全員が救助されるのだから、計画通りで、と答えたという。
(回想録に書かれた医師はその会話を否定している)

その晩、町の治安が悪化し、救助が難航しているとの噂が流れる。
2階では、ポータブル発電機の弱い明りの中、
医師も看護師もほとんど睡眠もとれないまま3日ぶっとおしの勤務を続けていた。