ハリケーン・カトリーナ:メモリアル病院での“安楽死”事件 1/5: 概要

この疑惑に関する05年当時のCNNニュースを翻訳紹介してくださっている方のブログ記事。



当時、私は英語ニュースをチェックし始めたばかりで、
まだ今のような明確な問題意識を持っていない頃だったので、
Pou医師について、最後まで残って患者を思いやった素晴らしい医師だと捉えたまま
介護保険情報」で連載記事を書きました。(いま読み返してみると忸怩……)

調査報道を守ろうと奮闘している貴重なネットメディアとして
当ブログでも何度か記事を紹介したProPublicaが、去年、
このメモリアル病院の事件を詳細に調査して以下の記事を書いた時、

メモリアル病院では1つのフロアだけが外部の会社に貸し出されており
7階が日本でいうところの「療養型病床」とか「回復期病棟」に当たるものだったことが、
この事件では大きな要因であったらしいことに特に大きな興味をひかれつつ、
余りにも長大な記事だったので、ひるんだままになっていました。

すると、今年に入ってProPublicaがこの記事でピューリッツァ賞を受賞。

たまたま先日、安楽死のシンポに行って
やはり何かを論じるには、まず基本的な事実関係をきちんと知ることが
なにより大事だと痛感してきたこともあって、

(このシンポで、あの射水の呼吸器外し事件
安楽死正当化の資料として使われていたのには、ちょっと唖然としたし)

「心やさしい医師が極限状態の中、患者の苦しみを見かねて安楽死させた」と
つい単純化して捉えてしまいがちなメモリアル病院の事件の事実関係を
この長大な記事「メモリアルでの死の選択」から取りまとめてみることにしました。



まず事件の概要を。

ハリケーンカトリーナ襲来時、ニューオリンズのメモリアル病院では
電気も水道も断たれ、院内の温度は40度を超える過酷な状況下にあった。

しかし、事後、
メモリアルの臨時遺体安置所から引き上げられた遺体の数は45。
ニューオリンズの同じ規模の病院と比べると、突出して多かった。

1年後、4人の患者の死に関連してAnna Pou医師と看護師2人が逮捕される。
しかし頸部癌を専門にする外科医、Pou医師(事件当時49歳)は、
自分は患者が苦しみ続けないように help しただけだと主張、
陪審員は起訴しなかった。

その後Pou医師は、災害、テロ、パンデミックなど緊急時の医療職の行為は
民事訴訟の対象から外され、守られるべきだと訴え、実際にルイジアナ州では
Pou医師も直接かかわって、そうした法律が制定されてきた。

また、同医師は、災害時にはインフォームドコンセントはとれないとし、
医師は蘇生不可(DNR)の患者と最も重症度の高い患者の避難を最後に回すべきだ
とも主張している。


しかし、あの数日間に、世の中から孤絶したメモリアル病院では何があったのか、
その詳細は今だに明らかにされていない。

記事の著者 Sheri Finkは、以前は非公開だった記録を入手するとともに
メモリアルでの出来事やその後の調査に関わった何十人もにインタビューを行い、
それによって、何が起こったかを検証する作業を重ねてきた。

そこで明らかになったのは、
致死薬の注射の判断には3人以外の医療職も関わっていたこと。
注射されたのは、これまで思われていた以上の人数の患者で、

モルヒネまたは鎮静薬またはその両方を、本格的な避難が始まった後になって、
注射された患者が少なくとも17人いた可能性。

その中には、あの状況下では助からなかった可能性のある極めて重症の患者もいたが、
注射時に死に瀕していたわけではない患者も含まれていた。

Finkは昨年、Pou医師自身にもインタビューを行っている。
ただしPou医師は個々の患者について語ることを拒否。
カトリーナに関連した自らの講演にもジャーナリストらの出席を認めず、
裁判所に対して、この事件の5万ページにも及ぶ調査報告書の公開差し止めを求めている。