スコットランド自殺幇助合法化案を「死の自己決定権」アドボケイトが批判

スコットランドの議会に提出されている自殺幇助合法化法案が
ターミナルな状態の人だけでなく身障者も対象としていることは
こちらのエントリーで紹介しましたが、

06年に元GPだった母親をスイスのDignitasに連れて行って死なせた経験から
死の自己決定権アドボケイト Dignity in Dyingの活動をしているEdward Turner氏が
スコットランドの自殺幇助合法化法案が身障者を対象に含めていることについて、

道徳的に曖昧で、
障害者の生の価値が過小に評価されることにつながる恐れがあり、
障害について経験もなく無知な健常者中心の社会が
障害問題の解決策は自殺幇助だと短絡してしまうのではないかと
障害者らが不安を感じるのも当然だと批判。

また、
申請までに18ヶ月間スコットランドのGPに登録していることという条件についても
お金やコネのある人や、準備期間をおける人なら、回避可能だ、とも。

一方、法案提出者でパーキンソン病のMacDonald議員は
事故で全身マヒになってDignitasで自殺した23歳の元ラグビー選手Dan Jamesさんや
先日来話題になっているMEのLynn Gilderdaleさんの母親による自殺幇助事件から
むしろ、必要だと考えると述べ、

生きることが耐えがたいなら
そういう人たちにも死ぬ権利を与えようとしているのです。
彼らには自己決定権があるのだから、意思を尊重してもらえて然りです



Dan Jamesさんというのは、
ラグビーの練習時の事故で首から下が麻痺してしまった23歳の青年で、
「下級市民(second class citizen)」として生きていくのは耐え難いから
スイスに行って死にたいと主張し、両親がDignitasに連れて行って自殺させたケース。

どちらかということ、これまでの自殺幇助合法化議論では
「すべり坂」の象徴のように取り上げられてきた事件ですが、

両親の行動について、英国の公訴局は取り調べは行ったものの
「起訴することは公共の利益にはならない」という
訳のわからない理由で不起訴としたために、この事件を機に、
「近親者の自殺幇助行為は不起訴」「これまで罪に問われた人はいない」と
広く言われることになり、

やがてDebby Purdyさんが「明確化せよ」と裁判を起こす素地を作りました。
(詳細は文末にリンク)

Purdyさんの要求を下級裁判所は突っぱね続けたものの、
最高裁が公訴局長に「はっきりせよ」と命じたために
出てきたのが9月の公訴局長の法解釈のガイドライン暫定案。

そこへ先月、Inglis事件、Gilderdale事件(文末にリンク)の判決から
近親者の自殺幇助合法化議論は、にわかに慈悲殺擁護論にまで拡大して
今や「あのガイドラインでは不十分」という空気。

そこまで来ると、
最初に一線を越えたと見られたDan Jamesさんの事件も、もはや「すべり坂」の象徴ではなく、
「ほら重症障害は死ぬよりも耐え難いのだから」という証拠にまで使われる……。

世の中には、一度はJamesさんと同じところに陥りながらも、
周りの人々の支援によって、そこから這い出てきて
「生きていてよかった」と思えるようになった人だって沢山いるのに、

慢性疲労症候群(ME)の女性が17年間も寝たきりでいるなら、
その人と母親に必要なのは、自殺させてあげることでも幇助や慈悲殺を認めてあげることでもなく、
2人それぞれに対する支援の介入だったろうに。

支えることの必要になど誰も触れないまま
「生きることが耐えがたいなら死なせてあげましょうよ」という社会は、
無言のうちに「だって、どう考えたって、障害を抱えて生きているなんて
誰にとっても耐え難いことに決まっているでしょ、ね、ね」と信号を送っている――。