Diekema & Fost 論文を読む 3:政治的判断を否定

今回の論文に初めて出てきた内容として、私が最も注目したい箇所は
やはり「反論25」で、然るべき手続きがなかったとの批判に反論している部分にあって、

If the institution had any self-interest in this case, it would have been to not perform these interventions because of the potential controversy. In this politically charged situation, an ethics committee, comprised solely of individuals who had no stake in this decision, was no more biased than a hearing before a judge would have been.

病院に政治的な自己利益があったとしたら、
こんな論争になりそうな介入は、むしろ“やらない”選択をするはずだろう、と。

――いや。

どうしてもやらざるを得ない状況があり、ホッカムリし通せると考えさえすれば、
やるんじゃないでしょうか。

実際、病院は2年間、隠し通したのだし、
いよいよ論文を書かざるを得なくなった時にも、多くのことは隠蔽が図られたのだから。

しかし、ここで何より興味深いのは、
病院の「自己利益」だとか「政治的な事情の絡んだ状況」とかに、彼らが初めて触れたこと。

この一文から見る限り、病院が政治的配慮でやったことに過ぎないとの指摘があることを
Diekema医師は意識しているわけですね。

それがいわれのない言いがかりだというなら、
否定して見せるのは、しごく簡単なことです。

「Ashleyの父親はマイクロソフトの役員ではない」という事実を持ってくればいい。

なにも名前まで明かす必要はないのだから、
Ashley以外の子どものプライバシーは守れる。

父親の職業を明らかにする必要すらない。
ただ「彼はマイクロソフトの役員ではない」と一言、否定してみせるだけでいい。

この期に及んでも、まだ、それができないで
「政治的な利益があるなら、やっていないはずだろう」てな、かったるいゴタクを並べているのは、

やはり父親がマイクロソフトの役員だというのが事実だからでしょう。

そして、その一つの事実だけがあれば、
この事件を巡る不可解や不思議、医師らの発言の矛盾や齟齬にも、きれいに全て説明がつくのです。

今回の論文のこの箇所こそ、当ブログのspitzibara仮説を証明している、と私は思う。