カフェインだって昔は違法薬物、とSavulescu

2006年のツール・ド・フランスでのドーピングが確認されたことを受けて、
9月23日にCBCニュースのSundayという番組が
「スポーツでのドーピング:このまま定着か?」と題した討論を組み、
「もはや解禁するしかない時期にきたのだろうか」と問題提起をしました。

この番組で、あのSavulescuが熱弁をふるっています。

以下のサイトでビデオが見られます。10分程度。


冒頭、彼の「カフェインだってパフォーマンス強化薬だし、かつてのオリンピックでは禁止されていたのだ」
との発言(極端な例を引っ張ってくるのはお家芸?)に、キャスターが
「じゃぁ、カフェインみたいなものとそれ以外の危険薬物と、何処でどうやって一線を引くんですか」
と突っ込みます。

それに対してSavulescuは、
「安全な薬物の種類と、血中濃度を基準に摂取量を規制すれば、
薬物のドーピングは解禁してもいい、ただし遺伝子ドーピングはまだ安全ではない」と。

反対する立場からの、「副作用がある、スポーツの神聖さと醍醐味を損なう」との批判に対しては、
「(いまさらスポーツの神聖だなんて)それはまた結構なラブリーでロマンチックな考え方だが、
これだけドーピングの技術が進んだら、どうせ現実には広がる。
また今のスポーツは既に超人的なレベルの高さで競っているのだから、
強化薬なしに勝ち続けることなど不可能」といった内容の反論をしています。

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生殖補助医療でも感じるのですが、
既成事実のほうが加速的にどんどん先行し、
倫理的な検討や法整備が追いついていないのが実態のように思われます。

そして、そんな実態が、
Savulescuの「どうせ防げない、どうせ広がるんだから」という論理に見られるように、
さらに容認への正当化に使われる……。

「自由な選択」を広げたい人たち、
「もっと健康に、もっと頭が良く、もっと長生きに」と追い求めたい人たち、
「不毛な治療」などの言葉を操ってコスト削減を行いたい人たちが繰り返す正当化の言葉には、
いつも様々なニュアンスの「だって、どうせ……」という言葉が隠れているような気がします。


“アシュリー療法”も、
一部の奇怪な人たちが「だって、どうせ……」と擁護しているうちに、
いつのまにか既成事実化してしまう……などということは本当にないのでしょうか???? 

私が一番恐れているの(当ブログ開設の主な動機でもあります)は、

実は倫理委員会が政治的に操作された可能性がある、
シアトルという町の特殊な事情の下でのみ起こりえた可能性のあるアシュリー事件が前例となって、
いずれそのような特殊な背景のない第2例目がどこかの重症障害児に行われてしまうことなのですが。

【追記】
この危惧は、その後、
英国のKatie Thorpeのケースとともに、
現実のものとなる可能性が出てきました。

そちらのケースの詳細については、
「英国Katieのケース」の書庫に。

【追追記】
英国のケースは2008年1月にNHSが母親の要望を却下しました。