学校には託せるのに?

Arthur Caplanの論評を読み返していて、ふと疑問に思ったこと。

アシュリーは学校のSpecial Educationのクラスに通っています。ブログでは「アシュリーは学校の障害児のためのクラスに行っており、毎日バスに乗って通い、彼女に合わせた活動が組まれて、先生とセラピストが十分な注意を払ってくれます」と書かれています。

ということは、両親は学校の先生やセラピストには、少なくとも数時間程度はアシュリーを託しているということでしょう。通学バスにまで乗せているのです。

アシュリーを学校の先生には託すことができるのに、なぜプロの介護者に託すことはできないのか? なぜ家庭での介護に他人の手を借りることができないのか? なぜ、この先もずっと他人に託すことなど絶対にないと断言するほど、他人が信じられないのか? 

学校の先生とセラピストと、プロの介護者とでは、一体何が違うのか?