Caplanの「希望」について 2

5月16日のWUのシンポの際に会場から、
ある障害児の父親の手紙が朗読されました。
非常に激しい文面でした。

逐一メモれたわけではないので、
厳密に言葉どおりではありませんが、
私の耳に聞こえたYouの響きのまま大意を訳してみたものを以下に。

うちの子が生れた時、あなたがたはどこにいたというのですか? 
この子が手術室から出てきた時に、あなたたちはどこにいたのです?
私が抱いてこの子にミルクをやっていた夜中に、
……の時にも……した時にも、どこにいたというのですか?
 
それなのに何の権利があって私のすることに口を出す?
責任を取るのは我々なんだ。
あんたらは、これから先もどこにもいない(ここで会場から拍手)。

自分は53歳。先が短いのは承知している。
だけど、この子は絶対に施設になど入れない。
私か妻か、我々の親かが必ずこの子の面倒は見る。

どこかのsicko(異常者)がうちの子をレイプで妊娠させやがったとしたら、
生まれてくる子どもの面倒を一体誰が見ると思っているのだ?
その子を育てるのも我々じゃないか。

それなら、オマエらはみんな、つべこべ言わず、すっこんでいろ。

これらの激しい言葉の一つ一つが読み上げられるにつれ、
いたたまれない気持ちになりました。

この父親が何十年も心に抑え込んできた悲鳴が、
ここに堰を切ってほとばしっている、という気がしました。

この家族の恐らく30年近い年月は、
今ほどの支援も資源もなく、
つかの間のレスパイトすらままならず、
常に気を張って無理を重ね、
家族だけで頑張って、

もうこれ以上は体も心も頑張れないという限界まで頑張っているのに、
それでもどこからも助けの手は差し伸べてもらえない……という年月だったのではないでしょうか。

長く苦しかった年月から残ったものは、
助けてくれることのなかった社会への憤りと、人間への苦い不信。
そして、社会も人間も信じられないからこそ、
自分がもう53歳だというこの父親にはCaplanのいう「希望」が持てない。

この家族にとって何よりも悲痛なことは、
その「希望」がないことなのではないでしょうか。

しかし、どんなに「私か妻か、我々の親が必ずこの子の面倒は見る」と念じてみたとしても、
親もまた、いつ病気になったり怪我をするか分からない生身の人間です。
障害のある子どもの親だけが病気からも怪我からも事故からも、
その愛情の力で逃げ切れるというものではないでしょう。

「この子を幸せにしてやれるのは親だけ」と介護を背負い込み、
苦難にもめげずに頑張りぬこうとする親の姿は傍目には確かに美しいでしょう。
感動もするしエールを送りたくもなるでしょう。

しかし、その考え方に立つ限り、
何らかの事情で家族がケア出来なくなった時には
「子をつれて死ぬ」選択しか残されていないのだということを、
アシュリーの両親の決断に賞賛を送る人は、
考えてみるべきなのではないでしょうか。

Caplanがいう「親亡き後にも子どもが幸福に生きていけるという希望」は、
重い障害のある子どもを社会に託して死んでいけるだけ、
親が人間と社会を信頼し得るという「希望」なのではないでしょうか。